sirius

SiriusとAldebaranとPolaris

責任論

2018-08-21 09:23:03 | 日記

幼児が行方不明になった。

二歳になる直前という。自宅から百メートルほどのところを歩いているのを一緒に出掛けていた祖父は見ていた。

だが、その後どこへ行ったのか行方が分からなくなった。

警察官・近所の住民などで行方を探すも杳として知れない。

 

三日が経って他県から来たボランティアをもっぱらにしている老人が発見した。

とりあえず病院に入れて様子を見ることに。

ひとまず無事発見されたことは良しとしよう。

 

その後、体調も回復したということで退院となった。

そこにテレビ局が押し掛けた。

どこのチャンネルも似た構成で親の言葉と子の顔を納めていた。

 

元はといえば祖父さんが途中でぐずったから一人で帰らせたというところだ。

たとえ田舎町ですぐそばであるといえども年端のいかない幼児を一人で帰らせたところに門があったのでは。

家まで送り届ければ世間を騒がせることもなかった。

 

そして、メディアの騒ぎようだ。

ここまでカメラを持ち込んでのはしゃぎぶり。

まるで「英雄か?」となった。

 

メディアとして伝えることは大事だ。

が、どの程度で納めるか、だろう。

今回など「・・・が元気に退院しました」でいいだろう。

誘拐されたわけでない。

家族の責任に属することだ。

 

おりしもアメリカでは度重なる大統領のメディアに対する態度に業を煮やし

300を超える新聞が抗議の社説を掲げた。

自分を批判するものを許さないとする傲慢な態度だ。

すぐ近くにも似たようなのがいるが・・・。

 

批判されることは当然である。

その批判にどう道理をもって答えるかがその人間の資質が問われる。

批判を「問答無用」と切り捨て、挙句は「フェイク」と決めつける。

 

先の戦争の責任もあるが、とにかく無責任が横行している気がする。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。