ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ケルト研究の基本テキスト

2007-05-13 00:10:28 | ヨーロッパあれこれ
図説 ケルト
サイモン・ジェームス著
井村君江 監訳
吉岡昌子・渡辺充子 訳
2000年6月20日 第1刷発行
東京書籍

ヨーロッパ民族の基層をなすケルト人。
紀元前200年頃は、イギリス・アイルランド、そしてスペインからドナウ川下流までケルト語世界が広がっていたという。
表紙の写真が示すブロンズ像や金属細工などの考古学的発見物。
一時はローマにまで攻め入った事もある。
しかしその後ローマ帝国による侵略。
ケルトから見ると、カエサルなどのローマ皇帝は悪役とならざるをえない。
一方、カエサルと戦ったケルトの武将ウェルキンゲトリクスはフランスの国民意識と侵略者に対する抵抗のシンボルとして、脚光を浴びる。
現在、アイルランドやフランスのブルターニュ地方では、言葉と言う形でもケルト文化を残そうとしている。
アイルランドでの英語・ゲール語、そしてブルターニュ地方の仏語・ブルトン語の二ヶ国語併記。
カンペールという街では、観光案内所の表示や名所説明のパネルがわざわざその二ヶ国語表記になっているのに驚いた事がある。

意外と見ものなブロワ城の内装

2007-05-11 23:29:04 | フランス物語
ブロワ城の中に入る。
残念ながら、内部の写真を撮らなかった(撮れなかった?)こともあり、ほとんど記憶に残っていない。
小さな小窓がある緑の部屋をおぼろげに覚えているくらいだ。
「ジャンヌダルクの生涯」(藤本ひとみ著 中公新書)によると、隠し戸棚のある私室や、暗殺の舞台になった国王の寝室、また三部会室など見ごたえがある美しい部屋があり、内装に関してはシャンボールより素晴らしい、と力説しておられた。
確かにガイドブックの写真などをみると、その通りだったかなという気もする。

城を出て、写真の辺りの、城とロワール河の間をうろつく。
といってもこのあたりには店やレストランなどはほとんどなかったように思う。
結局、駅から城の途中にある観光案内所に行き、地図などをもらう。
この案内所が入っている建物は、「アンヌ・ド・ブルターニュ館」といい、いかにもお城に合った建物である。
今改めてそこでもらった地図を見ると、街の中心地は駅から城への延長線上の、更に離れた所にあるようだった。
ついでながら地図の広告には日本料理店が二件あった。
一つは名前は「オオサカ」でも、ベトナム料理と日本料理とあったので、いわゆる本物の日本食ではなさそうだった。
もう一つは「池家」とあり、日本語の説明もあったので、日本人の方も関係している所のようだった。

結局観光案内所から駅に戻る。
まだ日は高く、パリに戻るには早すぎる。
近くの街トゥールに行く事にする。
駅で簡単な昼食を取った後、プラットフォームで電車を待つ。
なんだか駅の規模の割には、長いプラットフォームだったなあという記憶が、なぜか妙に残っている。

皇帝ネロとローマ人歴史家について(ローマ人の物語Ⅶより)

2007-05-09 22:03:11 | ヨーロッパあれこれ
クラウディウスの後、16歳の若さにして、ネロが皇帝に就任する。
セネカという知識人の指導の元、元老院寄りの政策を打ち出す。
しかし、その後の元老院との関係悪化。
また、母親アグリッピーナとの葛藤。その後の母殺し。
アルメニアやブリタニアでの戦い。
ギリシャに憧れたネロ。自分も歌手としてデビューを果たす。
太った姿の彼を見ると、ドラえもんのジャイアンが歌っている所を思い出してしまう。
といっても、ジャイアンほどひどくはない。大衆にとってはある意味面白い出し物。
そう見ると、今は亡きエリツィンさんのことも思い出される。
ローマ大火とその再建。その後のローマの再建は評価されるが、一方でキリスト教徒に対する厳しい迫害。
そしてネロに対する反乱。
最後「これで一人の芸術家が死ぬ」との言葉を残したという説がある。
皇帝としての役割をほとんど演じる事ができなかった若者の悲劇。

最後この巻には、付記として、なぜ歴史家のタキトゥスやスヴェトニウスはローマ皇帝を悪く書いたのか
とあった。
結論として、反体制の人々が、新体制を提示できない場合、安易な批判に陥らざるを得ない、とのこと。
そして彼らの内容が大新聞の社説か、スキャンダル一杯の週刊誌のようなものであるとのこと。
社説はともかく、ゴシップは人類皆大好きである。
そして、地味な内容の文章はなかなか長い歴史の中で生き残る事ができず、その一方派手なゴシップ的なものは残っていく。
歴史の英訳はhistory。そしてhistoryという単語には、単なる「お話」という意味が含まれているのが、つくづく正しい事だなあ、と感じてしまう。

ローマ人の物語Ⅶ(クラウディウスの誠意)

2007-05-08 00:19:18 | フランス物語
カリグラが暗殺された後、クラウディウスはその血のつながりにより、次期皇帝に担ぎ出される。
クラウディウス自身は、体が弱く、あまり身なりもよくなかった。
しかし子供の頃から、ゲルマニクスに守られ、歴史の研究に熱中する。
そして50歳になり、無理やりつれてこられて、「第一人者」になるかを迫られる。
迷わず「第一人者」を選んだ理由は「エリートの責務は公益への奉仕」の精神による。
最初の仕事は、カリグラ殺害者の処刑。
従容に刑に服す大隊長ケレア。
元老院デビュー。演説は失敗に終わるが、くじけないクラウディウス。
カリグラ時代の後始末をこなしていく。
国家反逆罪法による処罰の廃止、財政改革、北アフリカやユダヤ問題など外交失策の巻き返し。
国勢調査や郵便制度など地味な部門にも力を入れる。
しかし彼も家族の問題に苦しむ。
そして妻のアグリッピーナの野望の犠牲になって63歳にて死亡。
死後すぐに彼をからかうセネカ。
「才気ある知識人にはよく見られる、人間性の優しさの欠如しか感じられない」セネカの一文。

元老院にも律儀に出席し、討論を存分にしてくれるよう頼み、法廷にもよく顔を出し、法律の公正な施行に心をくだいた。
誠心誠意に仕事を行ない、燃え尽きた13年間。
その誠心誠意が必ずしも同時代の人々には認められなかった。
しかし「ローマの神々ならば同情してくれただろうし、アウグストゥスならばこのクラウディウスを断罪などはしなかったであろうと確信する」という塩野先生の文に思いがこもる。

ローマ人の物語Ⅶ皇帝カリグラ(カリギュラ)

2007-05-07 22:34:37 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語Ⅶより、次は皇帝カリグラについて。
カリグラといえば、子供の頃、映画化されていたのを思い出す。
実際にその映画は見ていないが、おどろおどろしい内容の広告や、ビートたけしさんの「カリギュラ!カリギュラ!」というギャグが、純朴な?子供だった自分にとっても不健全な印象を残している。
この映画自体は、「百年も後に巷間の噂を集めて書かれた、スヴェトニウスの『皇帝伝』から材を取ったものにちがいない」とのこと。
皇帝伝は、イエローペーパー的なところもあったらしいので、かなり誇張された部分もあったんだろうな、と思う。
それでも、後年悪口を言われてもしょうがなかった治世だったかもしれない。
ティベリウスが残した国の財産を、民衆への人気取りと、自分の欲望のはけ口として、減税や大競技場の催し、贅沢な建造物でなくしてしまい、たちまち赤字にしてしまう。
赤字を補うための新税に対する民衆の不満。
そして自分自身の神格化。
また国家反逆罪という元老院攻撃。
そんなどうしようもない状況で、近衛軍団の大隊長のケレアはカリグラを暗殺する。
ケレアはカリグラが小さい、かわいい盛りから知っている。
それこそ「ちっちゃな軍靴」を履いてよちより歩いていた時から。
「まるで、身内の不幸は身内で始末をつけるとでもいうように」という推測は一番的を得ているのかなと思ってしまう。
その後、カリグラの像は破壊され、新しい皇帝クラウディウスが担ぎ出されるのであった。