ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ロワールののんびりした流れ

2007-05-21 22:50:06 | フランス物語
トゥールの美術館とその庭園、そして大聖堂と見学した後、更に北に向かう。
ちょっとした遺跡のような建物があった。どうやら城塞跡らしい。
そこにある博物館らしき建物には入らなかった。
ちなみにそこはトゥーレーヌ地方歴史博物館だそうだ。
さらに北に歩くと、ロワール河に転げ落ちる。
濡れるのも嫌なので(そういう問題ではなくて・・・)、そばにあった橋を渡る。
歩行者専用か、せいぜい自転車くらいしか通れない橋だったように思う。
そこの真ん中辺りで、ロワールの流れを写真に収める。
ロワール河沿いにも、いろいろ歴史の流れがあった。
特に中世の頃、この辺りは激動の時代だったと思う。
そんなことも知らぬ振りして、ロワールは、この日も、そして今日ものんびりと流れている。

曇った日の大聖堂(トゥール・サン・ガシアン大聖堂)

2007-05-19 22:26:40 | フランス物語
写真は正面斜めから撮った、サン・ガシアン大聖堂の姿です。
おそらく美術館の西にある公園から撮ったものと思われます。
13~16世紀に建てられた、ゴシック大聖堂で、正面は後期ゴシックの、いわゆるフランボワイヤン様式です。
火焔に似たやや過剰な装飾が当時の生き生きとしたトゥールの街を表している、と前述の街並みガイドにはありました。
それでも曇りの日、公園の緑越しに見た大聖堂の姿は落ち着いて見えます。

ベルト・モリゾ トゥールにて 1892年

2007-05-18 22:49:37 | フランス物語
トゥールのモダンな会議場から、大聖堂前の美術館に着く。
1892年、印象派の画家、ベルト・モリゾはこの美術館に立ち寄っている。
画家でもあり、またモデルでもあった彼女。神戸と東京で行われた「オルセー美術館展」でもポスターなどで、その美しい姿を見た人も多いはずである。
この1892年という年は、彼女にとっては辛い年だった。
夫ウジューヌ・マネを亡くしたからである。
それでもその直後の、夫と準備していた個展では成功を収めていた。

モリゾは個展後、娘との傷心?旅行で、この美術館に立ち寄り、美術館の窓からの景色を描いた作品を残している。
特に有名な作品ではないが、2004年に、日本で行われたマルモッタン美術館展で、その作品もひっそりと展示されていた。
その絵は、丸く植えられた緑の中に、白い彫像が浮かび、左側には池、そして背景には林の間にポツンぽつんとある家、そしてどんよりとした空模様だった。
モリゾ特有の荒々しいタッチで描かれている。
その絵の中には、大聖堂もない、ただの公園の風景である。
おそらく今も美術館のそばにある、フランス式庭園の場所だと思うが、はっきりそうかは確認できない。

というのもこの美術館の歴史を調べてみると、1789年というたいへんな時代に大司教館を利用し、美術館となっているが、革命の混乱の中で、劇場用ホールや中学校などに使われた時期もあったようだ。
1892年時点では、どうなっていたのかはわからない。
正式に市の所有するものとなったのは1910年だったからだ。

しかしながら改めてその絵画の解説を読むと、そこで彼女はブーシェという画家の絵の模写もしていたらしい。
市の所有ではなくても、大体の美術館の体は、なしていたようだ。
ちなみにブーシェの絵も今に残っている。
たとえ混乱した、騒がしい時代でも、絵画は黙ってひっそりと残り、みんなにメッセージを伝え続けてくれる。

斬新なデザインの会議場(フランス・トゥール)

2007-05-13 23:29:00 | フランス物語
午後1時半過ぎの電車で、ブロワからトゥールに向かう。
40分程で、トゥールの駅に着く。
ちなみにパリからだと一旦トゥール近くの駅で乗り換え、そしてすぐトゥール駅に行くこともある。
トゥールの結構おしゃれな駅舎(19世紀風)を尻目に、公園のそばを通り過ぎると、写真のようなデザインの建物があった。
トゥール市の会議センターとのこと。
当市が行った設計競技で選ばれた建築で、2000、700、350席を収容できる3会議場、展示場等を含む施設を、市庁舎、公園、駅舎が隣接する細長い敷地に計画する事が条件だったとのこと。
高さなどの法的規制(街の美観のためか?)を解消しつつ、昆虫が羽を広げて延びているような形態である。
そしてこの建物の写真では向かって右側に観光案内所がある。
この間を抜けていき、大聖堂方面を目指した。

(世界の建築・街並みガイド1 フランス/スペイン/ポルトガル (株)エクスナレッジを参考にしました。またTOTO出版の建築の本にも、このセンターが出ていました。)