やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

臨床医における問題解決の基本(第5部)

2015年07月26日 15時28分04秒 | 医学・医療総論
10.問題の検証

     問題点の感知と整理
      ↓
     診断(問題の分解→仮説の設定→問題点の原因特定)
      ↓
     治療(問題点の解決策の決定→解決策の実行)
      ↓
     問題の検証

 患者の問題を解決するそれぞれの段階に不確実性が存在している。そして誤謬を排除し尽すことはきわめて困難だ。したがって、医師個々人の間に能力の差があるのは否定できないものの、行なうべきことをきちんと行なえば、あるいは最善をつくしさえすれば最適の結果が保証されるとはとうてい言えないのである。

 問題解決の中心となるのは診断をつけることであるけれども、多くの場合、この「診断」は当該の病態をとりあえず矛盾なく説明できる「仮説」であるとみなさなければならない。よって、経過中には「仮説」に一致しない事柄に注意深くある必要がある。また、実際の臨床の過程はこれまで述べてきたように理路整然と段階を踏んで進行することは少ない。それぞれの段階をいったりきたりして検討を重ねることが求められる(診療のスパイラル)。

 これは経験に大きく左右される部分もあり、たとえば心不全患者で利尿が500ml得られたにもかかわらず改善がみられないのはおかしい、などというのは教科書に書かれてはいないがマネジメントの上では大事なことだ。このような理学所見や検査結果の解釈など、知識のみでは克服できない壁が存在しているかもしれない。とすれば、教科書や文献の検索のみでは解決しない問題があることを認識し、あらゆる機会を捉えて貪欲に経験する姿勢は、特にプライマリケア医にとっては重要であろう。

 また誤謬を起こしやすい状況というのは、その渦中にいる時には気づかないものだ。特に何となく引っかかるものがありながら日常の忙しさにかまけてなおざりにしていることもあるだろう。そのようなものを定期的に既往歴や検査結果などから始めてもう一度チェックしつつ振り返ってみるのも有用である。見逃していた所見はないか、目立つ所見にとらわれすぎていないか、あるいは、過去の同様な対象に対してうまくいったからと盲目的に同じ解決法を適用しただけで、実はよりよい方法があるのではないか、などなど。

 さらに近視眼的に物事を断片的に捉え解決するのではなく、患者の状態を大局的に全体として見ることも大切である。人間は個々のパーツの寄せ集めではない。ある一つの問題だけを解決しようとしてもうまくいかない、というのはたとえて言えば、ルービック・キューブの一面の色を合わせても、全ての面が合うとは限らないようなものだ。これは集中治療を要する患者の場合には特に大事なことで、例えば人工呼吸管理を要する患者の場合、気道内圧が上がれば心・腎機能にとっては不利に働く、など並行して行なう治療が両立しがたいこともまれでない。分解された要素を改めてそれぞれの関係を考慮に入れてまとめあげる能力が必要である。意外なことに、これは臨床の現場に限ったことではない。分子生物学の発展を背景に分析的手法が最も力を発揮すると思われがちな基礎医学の分野でも、そのような方法論でシステムを丸ごと把握するのは難しいことが認識されるようになり、マイクロアレイ法や、プロテオミクスなどのように網羅的に生命現象を理解しようという試みが広がりつつある。

 臨床の側から見た最終的な検証手段は病理解剖である。不幸にも亡くなった方に対しては、可能な限り剖検をお願いする。結果は全国集計され医学の発展に貢献できるという面のほかに、自分が行なってきた判断が正しかったのか、監査してもらうという面もある。臨床診断と剖検診断の不一致率はおおむね10~40%で、このような不一致に関する数値はこの数十年間でほとんど改善していないという。自分の診療を見直す貴重な機会になるに違いない。





11.おわりに

 ここでは、患者に直接関わる範囲での問題解決の方法論に限定して述べた。専門病院の診察室に現れる患者はそこにたどりつくまでにすでに診断が確定されているか、あるいは、様々な検査結果がそろいお膳立てされていることがほとんどであるために、そこから先のプロセスはあらかじめパターン化されたもので間に合うことも多く、あえて意識する必要などないかもしれない。むしろ目の前にいる患者がどの領域の分野の病気であるかさえわからないところから始まるプライマリケアに携わる医師こそ、日常的に問題解決能力を問われざるを得ないのである。そして、大まかでも問題解決の手順の全体を見通すことができれば、ここまでの段階なら当院で対応できる、などと自分の守備範囲を描きやすくなるだろう。

 しかし、これまで述べてきたことから明らかになったように、科学の一分野としての医学を基にした問題解決は有用ではあるものの限界もある。医学の進歩・科学的知識が未だ不十分であるのは言うまでもなく、例えばまず原因を明らかにする、という原則にしろ、実際には、膠原病や特発性間質性肺炎などのように疾患の原因が不明である場合も少なくない。診断がついたとしても根本治療が不可能な場合もけっしてまれではないし、引き起こされた病気が既に不可逆的であることもある。医学自体が実践を旨としている以上、科学的根拠があるわけではないまま経験的に行われてきた手技も多い。今どき外傷の消毒など治癒機転を阻害するためやらないのだそうだ。診断の論理自体が無謬性を保証するものではないことも既に述べた。

 科学的に理解された世界は何らかの形で一般化された法則からなる世界である。例えば疾患概念というものはいわば最大公約数的なものなので、典型的症状が全てそろう、という方がむしろ少ない。特殊性の科学である医学においては個体差が常につきまとう。また周知のように、方法論としての要素還元主義も根源的な問題が指摘されてきた。つまり分解された要素をもう一度組み立てなおしても全体になるとは限らないのだ。さらにカオス理論が明らかにしているように、どれほど精緻な理論であったとしても測定感度に限界があれば、将来を予測することはできない。「ラプラスの悪魔」は初期値と法則さえわかれば世の中の全てが決定されると主張したが、現実にはありえないのである。

 このように科学的であればすなわち間違いがない、ということではなく、科学がいくら進歩しても必然的に不確実な状況にさらされ続けているのだとすれば、そのような状況下にあっても合理的に判断しようと知恵を絞るのが人間である。例えば判断の基準としてミニマックス、マクシミン、あるいは期待効用値を計算し最も効用の高いものを選択する、などの方法が提出されてきた。とはいえ実際の適用はそれほど単純ではない。効用値を数字で示すのが困難であるというのはもちろん、例えば、治療前に99%の確率で成功するとされた治療法であれば当然のように選択されるだろうが、実際その治療を行なったところ死亡してしまったという場合、予想された範囲内とはいえその当人にとっては正しい選択であったと言いがたい。このような事前と事後の乖離は埋めがたく、医師と患者の間には深淵が横たわっていると述べざるを得ないのである。

 しかしそもそもわれわれは合理的に問題を解決できるのであろうか?ここには「人間とは理性的動物である」と言われ、理屈でわかればそれにふさわしい行動をするはずだ、などという思い込みがあるけれども、実際の現場を知る者であればそのように楽観的にはなれないだろう。常に合理的に判断するのはきわめて困難で、人間には本来そのような能力は備わっていないのではないかとさえ思われる。個々の症例をあとから振り返り種明かしをされればごく単純なことであったとしても、現に診療のプロセスにどっぷり浸かっている者にとってはそうではない。どの所見が真の答えの手がかりになり、あるいはただ偶然そこにあるだけの所見であるのか事前にはわからないのだ。また全ての症例でエビデンスを確認しつつ診療するなどというのは不可能だろう。しかも医療資源が質的にも量的にも十分とはいえない今の日本の医療環境である。過労と医療ミスの間の関係は国内外の報告で明らかとなっており、医療従事者が心身状態を良好に保つことの重要性は以前から指摘されているにも関わらず未だに状況は改善していないのだ。

 以上実地診療の場での問題解決の方法論を検討してきた。その過程には原理的に一定の誤謬が入り込むことが避けられない。むしろ多くの不確実性にも関わらず臨床の現場ではおおむね正しく診断しマネジメントできているのは驚くべきことである。コンピューターによる診断支援がいかに進んだとしても医師の診療過程における思考を全て代行してくれるなどというのは不可能であろう。個々の医師による裁量の範囲は依然として残り、それゆえにこそ診療技術の向上に努力し続けなければならないのである。





参考文献

1. 福井次矢、奈良信雄編. 内科診断学. 医学書院、2000. 診断に関する最も包括的な教科書。
2. 熊本大学医学部臨床実習入門コースワーキンググループ編集委員会編. クリニカルクラークシップ・ナビゲータ. 基本的臨床能力学習ガイド. 金原出版 2002. 本来は医学部学生のための教科書であろうが、初期研修医にも役立つ。特に「臨床問題解決技法-問題志向型システム」の項は必読。
3. PA Tumulty (日野原重明、塚本玲三訳). よき臨床医をめざして:全人的アプローチ. 医学書院、1987. 全人的医療を徹底した医師として著名な著者によると、臨床医とは病気を診断し治療することを本来の任務とする人ではない。臨床医とはその本来の任務として、人間が病気から受ける衝撃全体を最も効果的に取り除くという目的をもって病む人間をマネージする人である、という。
4. SDC Stern, AC Cifu, D Alfkorn (竹本毅訳). 考える技術. 臨床的思考を分析する. 日経BP社 2007. ベイズの定理を適用した診断のプロセスを丁寧に解説している。
5. 福岡伸一. 生物と無生物のあいだ. 講談社現代新書、2007.
6. 高橋昌一郎. 理性の限界. 講談社現代新書、2008.
7. 平田オリザ. わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か. 講談社現代新書、2012.
8. 柳瀬睦男. 科学と宗教における生命観. 岩波講座 転換期における人間 1生命とは 岩波書店 1989. 医学のもつ意味を整理するために。 (2009.3.24、2015.7.26改訂)