やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

精神・神経疾患に合併しうる肺水腫

2013年04月15日 04時44分11秒 | 全身疾患と肺
高齢者の時代である。知恵と経験を有する人材の活躍が期待される一方で、多くの合併症を抱えperformance statusが不良であるばかりか、認知機能にも問題を有する患者が引きも切らない。介護職とも緊密に連携をとりつつ、いろいろな意味で境界領域にある症例を引き受けていると、従来の臓器別専門性の枠に囚われていては対応しがたい症例が確実に増えていると実感する。そもそも専門各科のそろった大病院であったとしても救急や転院依頼のすべてを受け入れられるわけではない。地方の片隅にあるうらぶれた小さな施設であったとしても、そのような専門病院から忌避された患者にとっては最後の拠りどころなのだ。そして、これからの医療をとりまく状況が予測されているとおりに現実化するとすれば、医療の進歩に取り残され、とりあえずそこに空きベッドがあれば専門性を問われることさえないような病院であったとしても、むしろ時代を先取りした場所でありうるかもしれないと考えるのである。

神経原性肺水腫(neurogenic pulmonary edema ; NPE)も複数臓器にまたがる病態をバランスよく検討すべきことを教えてくれる疾患の一つだ。頭部外傷、くも膜下出血、脳出血、脳梗塞、脳腫瘍、てんかん発作などの中枢神経疾患に伴い発症する肺水腫である。それほど稀なものではなく、たとえばくも膜下出血により死亡した78例を後ろ向きに検討したところ、その71%において病理学的に肺水腫を認めている(J Neurosurg 1978; 49: 502-507)。死亡率も決して低くないとはいえ、そのほとんどは神経学的障害が回復しないことによるもので、呼吸不全自体が死亡に寄与する例は少ないようだ(Chest 1997; 111: 1326-1333)。

その発現は原疾患の発症数分ないし数時間以内と、12~24時間後の二峰性であることが知られている。典型例では突然呼吸困難が出現し、しばしば交感神経刺激徴候を認めるとはいいながら、ときには発熱や白血球増多も伴うことから誤嚥性肺炎の可能性を否定しがたい例もあるようだ。胸部X線では両側性に濃い浸潤影を呈するものの、そのほとんどは一過性の経過をたどり、24~48時間以内に症状の消失をみるという。

疾患概念そのものは単純明快で、①両側性浸潤影、②PaO2/FiO2 ratio <200、③左房圧上昇の所見がない、④CNSの傷害がある(脳圧が有意に亢進する程度の重症度)、⑤他にARDSをきたす原因がない(誤嚥、多量輸血、敗血症など)、との診断基準も提唱されている(Crit Care 2012; 16: 212)。一方で、発現メカニズムの詳細についてはいまだ明らかになっているとは言い難い。それでも、中枢神経疾患が頭蓋内圧を亢進させ、カテコラミンが急速かつ多量に放出されることが重要な役割を担っているのは確からしい。血栓除去や腫瘍切除などの手術療法、浸透圧性利尿剤、抗痙攣薬、ステロイドなど脳圧を低下させることにより酸素化の改善がみられ、α受容体遮断薬であるPhentolamineが著効した症例も報告されている(Chest 2012; 141: 793-795)。

ただし、肺血管のレベルでどのような機序が働き、水腫をきたすのかに関してはいくつかの説がある。Starlingの式が教えてくれるところに従えば、静水圧の異常や血管透過性亢進が関わっているに違いないのだが、NPEにおいてはこの両者がさまざまな割合で関与しているようだ(Clin Chest Med 1985; 6: 473-489)。少なくとも一部の患者では心筋傷害による肺水腫であることが示されており、その他、心室のcomplianceが間接的に変化することや循環血液量が全身循環から肺循環系へとシフトし、肺静脈圧の上昇をきたすことによって漏出性の肺水腫をもたらすともいう。それだけではなく、交感神経系による強力な刺激が直接肺血管床に影響し、肺血管内皮の傷害から血管透過性の亢進をもたらすとの説も提唱されている。

ここで連想されるのは、悪性症候群(neuroleptic malignant syndrome: NMS)だろう。抗精神病薬などの投与や中止により引き起こされる、筋強剛、発熱、自律神経症状、意識障害などを主症状とする致死性の副作用だ(呼吸 2001; 20: 806-807)。神経・精神科領域では以前からよく知られていたものだが、原因薬剤として抗精神病薬を中心とした精神神経用薬がほとんどを占めているとはいえそれに限るものではなく、抗パーキンソン病薬や抗認知症薬、さらには制吐剤により惹起された症例も報告されている。しかも精神神経用薬自体、精神科に限らず広く用いられていることから、一般内科やプライマリケアの領域でも稀ならず遭遇されていると思う(重篤副作用疾患別対応マニュアル 厚生労働省ホームページ)。

死亡率10~30%とも言われるNMSの合併症としては心不全、心筋梗塞、不整脈などが知られているけれども、直接死因としては呼吸不全がもっとも多い(Arch Intern Med 1982; 142: 1183-1185)。呼吸不全は従来、嚥下性肺炎によるものとされており、意識状態の変容に加え、自律神経の不安定性に由来するコリン作動性神経の機能亢進によるbronchorrheaが関与しているという。しかしながら呼吸不全の病態としてはそればかりでなく、自律神経の過剰刺激による肺高血圧の結果として肺毛細管圧が上昇し、肺水腫をきたすという機序も想定されているようだ(J Natl Med Assoc 2002; 94: 279-282)。全体からみればごく一部分ではあるものの、NPEとその病態生理を共有している可能性を想像せずにいられない。

多くの医療者は“患者にとって”何が最善なのかを考えていると思う。一方で今の医療のあり方に少なからず問題があるとも感じているだろう。個々の患者に対する最適解を積み上げていったものが、そのまま国全体で考えたときに最適な医療・介護制度になるというのであれば何も問題はないけれども、そんなわけにはいかないこともわかっている。だから様々な意見に耳を傾けてみるのだが、それぞれの識者も既得権益を代弁しているだけのように思えてならず、ときには冷静さを欠いた野次や怒号さえ飛び交うなかで、どこに正義があるのか途方に暮れてしまうのだ。そんな混乱に満ちた状況に道筋をつけてくれそうなサンデル教授の議論が多くの人の心をとらえたのも当然だろう(これからの「正義」の話をしよう. 早川書房 2010年)。つまるところ、すべては自己責任だと突き放すか、個人の力ではどうにもならない運命とでも言うべき何かに翻弄された同胞だと感じるかという違いなのかもしれない。効率・公平を超えた価値観が問われているように思えるのである。 (2013.4.15)