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おやじの本音を綴ります。

2020/03/03 煙突だらけの街

2020-03-04 08:08:49 | 日記
県病編
初めての入院日記
2020/03/03 煙突だらけの街


はじめに
本来なら大所高所で会社の進路を見極めながら舵取りを託す後継を育てておかなければいけない事はもちろんよくわかっている。しかし現場での深刻な人手不足、人材不足が原因で廃業となる事は避けたい。この二年近く現場復帰する事で業績悪化は防ぐことができた。このペースで今期は経営安定化ランディングを見据えて5年計画をスタートさせようと思っていた矢先…なぜこのタイミングなのか?自分が撒いた種なので痛い思いをするのは構わない。しかしこの事によって家族、社員に少なからず負担が増す事が辛い。「人間万事塞翁が馬」と言うが今回の入院によって何がもたらされるのか…反省と自戒からふたたび立ち上がるまでを記録していく。
2020/03/03 煙突だらけの街
 50年前、この街で育った。随分と垢抜けた住宅街となっているが当時は工場が立ち並ぶ下町だった。工場の2階が自宅だったため子供ながらに仕事が生活の一部であり多勢の人間が家族同様に暮らしていた。いまにして思えば簡単なことだが自我が目覚めつつある感傷的な少年は他人との生活に上手く融合することができず表面だけの家族的集団生活を過ごしていた。何か気に触るような事をして相手が怒り出さないよう気をつけながら関わる事が面倒臭くなり、やがてそれは学校生活へも影響していった。
 この街は労働者で溢れる煙突だらけの街で男たちは少しでも勇ましく見られるように見栄と虚勢を張っていた。それは今でも変わりないだろうが昭和の男らしさとは優しさは無縁の泥臭いものだった。金が入ると酒を飲んでは大声で騒ぎ、誰彼構わず難癖つけて勝ち目が無いとみるや涙流して許しを乞う。そんな光景に愛想が尽きた男たちはこの街を去っていった。
 この街で暮らす女たちは逞しく生きる術を心得ていた。たとえ見え透いたお世辞でも頼りになる男であれば心を寄せた振りを魅せ喜ばせた。やがて勘違いした男は浮気心で他の女に手を出し修羅場を招く。そんな光景に愛想が尽きた女たちはこの街を去って行った。
 このまま寂れて行くと思われた街に転機が訪れたのがこの県立病院の移転だった。おそらく当時の権力者による誘致が実を結び煙突の街は市内でも有数の住宅地へと変化していった。20年前俺もこの街を去ることにした。いまこの病室から見える風景は当時の面影が残っている事を俺は知っている。しかしこの街で暮らしていた男たちや女たちがこの世を去るとともに消えて行くのだろう。
 ところで
 ついに感染症患者がこの大分にも出た。しかも30代のキャバ嬢らしい。まあおそらく潜在的な感染者は相当数いるに違いないが冷や汗かいているオヤジたちはどうするだろう?幸にしてこの1ヶ月は入院中の身で飲み屋街に足を踏み入れる事が出来なかった。もしそうでなかったらある意味変な熱にうなされていたかも知れない。


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