就職して5年。
26歳のとき。
ずっと夢見ていたことを現実にしようと決心して初めて動き出した年。
自分の人生の中で大きな転機だったのかもしれない。
まだまだ先のことなど考えられることもなく、周囲の反対の声も全く届かない僕は、
ただただ自分でお店を作りたくて、自分の技術で、自分のサービスで、自分だけで勝負がしたくて・・・
飛び出してきたのが、ここ多良間島。
島の事も全然分からなかったし、家族も島民もきっと僕のやりたいことはよく分からなかったと思う。
無我夢中に潜り倒し、今まで両親や兄をはじめ多くの先輩にお世話になりながらさせてもらった経験を武器に
ここで成功するんだと強い思いだけを心に走ってきた。
最初の年は、周囲のゲストが何を望むのか、ダイビング環境がどのように変化しているのか分からないことが
多く経験からのスタート。それでも分かるのが当たり前の世界で思い切り背伸びして日々砕かれながら
当たり前のように失敗しかなく、それでも気張るしかできない自分に苛立ちがこみ上げていたのを覚えてる。
2年、3年と少しずつ何かをつかんできたけど、自分の力のなさに落胆する日々ばかり。
周囲の島ではあざ笑うかのように成功するお店ができ、沖縄全体が大きく変化してきた。
この変化の中、自分が見出したもの。
「自然」
圧倒的に開発がされていない素晴らしい条件のある海域。
圧倒的に人が海に入っていないけがれなき水中景観と生物。
圧倒的に立ち入る船が少なく海上から海中の風景をみんなが独占できる環境。
4年目・・・とにかくお客様を呼ぶことよりもこの自然を守り、海域を守り、島を守ることからはじめました。
周囲からはお客様に恵まれ毎日混んでいるように思われた日々も「海域を守る」というプレッシャーとの戦い
ばかりだったと思います。
師である父から5年が満足にできなければ無利だと言われ、とにかく意地で向かっていった5年が過ぎました。
このときたくさんのお客様にも支えられ、順調にいけるかと思っていましたが、今思えばその頃が一番きつかったことを思い出します。
全力をあげ守り、宝にしていた海域の大きな変化。
そう・・オニヒトデの大量発生の進行による珊瑚礁の激減。
突如起こったSTAFFの相次ぐ退職。
故障が多くなった船、コンプレッサーの消耗。
目指していた5年を過ぎ、6年目からまた地獄のような日々が始まりました。
夜遅くまでの業務と朝早くから業務。まったくSTOPがきかない休みなき日々。
シーズン次々と頂く予約に震えながら毎日笑顔で船に立たなくてはいけない不安。
初めての子供を授かり、妻の手助けも厳しくなり何とかしなければいけないともがく日々。
それでもたくさんのお客様が期待をこめて遊びに来てくれました。
「SHUちゃん!また来たよ!」
「久しぶり!元気だったか?」
「やっぱり多良間がいいね!」
そんな言葉で活力を見出しながら、7年が過ぎました。
その後、当店に大きな変化をもたらす抜群なSTAFF2人がやってきて一気に上昇気流にのった8年目!!
そう・・YASUとYOHEI。
全くタイプの違う2人が何度となくピンチを救って、成長してお店を盛り上げていってくれました。
そして、僕がここにきて10年。
お店として9年目のシーズン。
ほんとは何度も辞めようと思いました。
正直、最近も内地や沖縄本島でお店をやることを調査し考えたこともありました。
小さな島での生活に入ることの厳しさを目の当たりにもしたし、お客様からの温かさが大きなプレッシャーとなって
何度も逃げたくなりました。
毎朝、足が震えました。
毎朝、いつ厳しい言葉が飛び交い、きつい評判が流れるのではないかとびびりながら過ごしていました。
所詮、それほど力量もない自分。沖縄のガイド陣に嫉妬もしながら。。
だけど情熱だけはとにかく熱くもっていこうと。
いよいよ37歳。
そう・・・島に来て10年になります。
ただ島に来たのではないです。
夢を追って、人生の勝負に来ました。
10年目・・今感じることがあります。
多くのお客様が
「多良間がいいよって聞いて来ました」
「ただいま!やっぱここがいいよ」
「初めてだけど宜しくね!」
「これで多良間○回目だよ!よろしく!」
嬉しくて・・・・
島の風景も変わっていきます。
お店の施設も変わっていきます。
STAFFも変わっていきます。
海の中も変わっていきます。
同じ景色で同じインパクトはそこにはないのかもしれません。
でも、変わることが悪いことではないこと。
同じ笑顔で、同じように情熱を持って常に新しい海で勝負をしていくこと。
情熱あるSTAFFに協力してもらって新しい気持ちで「おかえり」が言えること。
俺も2児のパパになりました。
それなりにパワーも体力も落ちてきたけど、経験とセンスは磨かれてきたはず。
変わるからこそ面白いと思えるお店であり、
いつも変わらないねといってもらえるお店でありたいと。
そんな情熱を持って、これから10年目のシーズンを迎えていこうと思います。
お客様、皆様には全力で楽しんでもらえるように、全力で笑顔になる旅行を演出させて頂ければ幸いです。
そんな気持ちの今日この頃です☆
26歳のとき。
ずっと夢見ていたことを現実にしようと決心して初めて動き出した年。
自分の人生の中で大きな転機だったのかもしれない。
まだまだ先のことなど考えられることもなく、周囲の反対の声も全く届かない僕は、
ただただ自分でお店を作りたくて、自分の技術で、自分のサービスで、自分だけで勝負がしたくて・・・
飛び出してきたのが、ここ多良間島。
島の事も全然分からなかったし、家族も島民もきっと僕のやりたいことはよく分からなかったと思う。
無我夢中に潜り倒し、今まで両親や兄をはじめ多くの先輩にお世話になりながらさせてもらった経験を武器に
ここで成功するんだと強い思いだけを心に走ってきた。
最初の年は、周囲のゲストが何を望むのか、ダイビング環境がどのように変化しているのか分からないことが
多く経験からのスタート。それでも分かるのが当たり前の世界で思い切り背伸びして日々砕かれながら
当たり前のように失敗しかなく、それでも気張るしかできない自分に苛立ちがこみ上げていたのを覚えてる。
2年、3年と少しずつ何かをつかんできたけど、自分の力のなさに落胆する日々ばかり。
周囲の島ではあざ笑うかのように成功するお店ができ、沖縄全体が大きく変化してきた。
この変化の中、自分が見出したもの。
「自然」
圧倒的に開発がされていない素晴らしい条件のある海域。
圧倒的に人が海に入っていないけがれなき水中景観と生物。
圧倒的に立ち入る船が少なく海上から海中の風景をみんなが独占できる環境。
4年目・・・とにかくお客様を呼ぶことよりもこの自然を守り、海域を守り、島を守ることからはじめました。
周囲からはお客様に恵まれ毎日混んでいるように思われた日々も「海域を守る」というプレッシャーとの戦い
ばかりだったと思います。
師である父から5年が満足にできなければ無利だと言われ、とにかく意地で向かっていった5年が過ぎました。
このときたくさんのお客様にも支えられ、順調にいけるかと思っていましたが、今思えばその頃が一番きつかったことを思い出します。
全力をあげ守り、宝にしていた海域の大きな変化。
そう・・オニヒトデの大量発生の進行による珊瑚礁の激減。
突如起こったSTAFFの相次ぐ退職。
故障が多くなった船、コンプレッサーの消耗。
目指していた5年を過ぎ、6年目からまた地獄のような日々が始まりました。
夜遅くまでの業務と朝早くから業務。まったくSTOPがきかない休みなき日々。
シーズン次々と頂く予約に震えながら毎日笑顔で船に立たなくてはいけない不安。
初めての子供を授かり、妻の手助けも厳しくなり何とかしなければいけないともがく日々。
それでもたくさんのお客様が期待をこめて遊びに来てくれました。
「SHUちゃん!また来たよ!」
「久しぶり!元気だったか?」
「やっぱり多良間がいいね!」
そんな言葉で活力を見出しながら、7年が過ぎました。
その後、当店に大きな変化をもたらす抜群なSTAFF2人がやってきて一気に上昇気流にのった8年目!!
そう・・YASUとYOHEI。
全くタイプの違う2人が何度となくピンチを救って、成長してお店を盛り上げていってくれました。
そして、僕がここにきて10年。
お店として9年目のシーズン。
ほんとは何度も辞めようと思いました。
正直、最近も内地や沖縄本島でお店をやることを調査し考えたこともありました。
小さな島での生活に入ることの厳しさを目の当たりにもしたし、お客様からの温かさが大きなプレッシャーとなって
何度も逃げたくなりました。
毎朝、足が震えました。
毎朝、いつ厳しい言葉が飛び交い、きつい評判が流れるのではないかとびびりながら過ごしていました。
所詮、それほど力量もない自分。沖縄のガイド陣に嫉妬もしながら。。
だけど情熱だけはとにかく熱くもっていこうと。
いよいよ37歳。
そう・・・島に来て10年になります。
ただ島に来たのではないです。
夢を追って、人生の勝負に来ました。
10年目・・今感じることがあります。
多くのお客様が
「多良間がいいよって聞いて来ました」
「ただいま!やっぱここがいいよ」
「初めてだけど宜しくね!」
「これで多良間○回目だよ!よろしく!」
嬉しくて・・・・
島の風景も変わっていきます。
お店の施設も変わっていきます。
STAFFも変わっていきます。
海の中も変わっていきます。
同じ景色で同じインパクトはそこにはないのかもしれません。
でも、変わることが悪いことではないこと。
同じ笑顔で、同じように情熱を持って常に新しい海で勝負をしていくこと。
情熱あるSTAFFに協力してもらって新しい気持ちで「おかえり」が言えること。
俺も2児のパパになりました。
それなりにパワーも体力も落ちてきたけど、経験とセンスは磨かれてきたはず。
変わるからこそ面白いと思えるお店であり、
いつも変わらないねといってもらえるお店でありたいと。
そんな情熱を持って、これから10年目のシーズンを迎えていこうと思います。
お客様、皆様には全力で楽しんでもらえるように、全力で笑顔になる旅行を演出させて頂ければ幸いです。
そんな気持ちの今日この頃です☆
お誕生日おめでとう!
今回も多良間ブルー堪能するぞっ!
また多良間に行きたくなったなぁ。
海はもちろんだけど、しゅうさんの熱い気持ちが良い!!
のはらさん☆ 嬉しいお言葉です!!!また一緒に語りましょうね♪♪有難うございます!!
仕事やら家族やら、もちろん金銭面も(笑)
初めてお会いしたのは自分がまだ新人トレーニング中のクルーズ船の上でした。
あの時から「絶対、多良間に行ってやる!」と思い続け・・・
お会いした時間はわずかでしたが、ダイビングにかける姿勢やお客様に対する姿勢は本当に尊敬しています。
これからも多良間の良さを守りつつ、その素晴らしさを紹介し続けていってください!
いつになるかわかりませんが、必ず行きます!
返すのがすごく遅くなってごめん。。
初めて会ってからずいぶん時間がたつけど記憶にしっかりと描かれてます。
気配りのある温かい会話も情熱あるダイビングも。
また場所が変われど同じ海で同じ仕事をしていることに感謝しながら会えることを楽しみにまってるよ☆
ありがと!!