JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

親父とドラえもん

2007年05月30日 | Weblog
1994年革命的なステンドグラスを創りました。キャラクター的な悪魔,クマ,赤ちゃんのデザインです。本格的な建築用の技法で作るので親父に教わりながら作業していたのですが、親父の機嫌はすこぶる悪いのです。親父曰く「こんなマンガをステンドグラスで作るなんて、高級なステンドグラスの品位が落ちる!」と、デザインが気に入らなくて怒っていたのです。そんなギャップが狙いだったので、おれとしては順調な良い反応だと思いニヤニヤしながら作ったのです。次にドクロの立体のランプを創りました。この時の親父の反応も「何でこんな不吉なモチーフを作るんだ!」と不愉快です。母親は「色がハデハデで恐くないねぇ」と認め始めていたので、更に頑固親父は「ドラえもんみたいなもんばっか作って、全くバカバカしい!」と言ったのです。おれも負けず嫌いなので本当にドラえもんをステンドグラスで創ってしまったのです。ステンドグラス独特の味のある青い頭は、親父の何かのスイッチを押した様で、ニヤニヤしながら「なかなかいいじゃないか」と、更に「時代に乗って変わって行かなければ生き残れないな」と、会社の方針自体も新しいイメージを追う様に柔軟に変わったのでした。おれは そうだよそうだよ!と勝った気分で満足でしたが、はっと気付き、柔軟になった親父の方がすごいな!と改めて尊敬し直したのです。やはり親子というのは、いつまで経っても親子なものですが、こんな関係になれるとは子供の時には想像していなかったので、会う時は新鮮でニヤニヤしてしまいます。ある時 実家のローカルなテレビの取材があり、親父が出演して将来の夢を聞かれたのです。「ステンドグラスはキリスト教の教会が多いけど、うちは仏教なので仏壇の阿弥陀様を奉る神殿をステンドグラスで造りたいんです」と答えていました。流石おれの親父です!聞くとジョークだったらしいけど、いつかおれが建ててやろうじゃないか...と、おれの夢にもなってしまっています。ARTとしてのステンドグラスをとことん追求しようと思ったきっかけは、こんな親父とのやりとりのおかげでしたし、今も訳が解らない作品の技術的な相談や製作に何でも協力してくれるので、いつまでも親父にはかないません。とうさん、ありがとう!