中学生の時「それじゃあ社会に出て生きて行けないよ!」と先生に叱られた事を鮮明に覚えています。クラス内のイジメを目の当たりにして解決の為に悩んでいる時、見て見ぬ振りをしろと言う、初めてのはっきり大人を疑う事件でした。「街を歩いていて向こうからヤクザが歩いて来たら道を譲るのよ!」廊下で偉そうに説く女教師に半べそで叫び反論しました。「お前みたいな奴がいるから社会が腐ってんだー!」と熱血。思い返すとお互い極端だったけど、そんな教育ってないよね。宮沢賢治に憧れているんだけど、信念や思いが強すぎて戦争にのめり込む時期が実はあるのです。その後、童話に思いを込めて表現する様になるのですが、実に納得がいきます。先日テレビで爆笑問題の太田君が「戦争になったら、あなたは戦えますか?」と訴えている姿に感動しました。おれも行くよ!時代は平和ボケで自分さえ良ければいいという自分勝手で溢れて、面倒な事や汚い仕事は遠のける。反対するパネラーの女が「戦争はしちゃぁいけないんですぅー」だって。ああこれが世論で社会というものだなぁと、目頭が熱くなりました。戦争の根源を見てしまった気がしたのです。戦いはある意味必要なもので、人間がぶつかり合うのは健康的ですが、卑怯とか野蛮な感覚こそが、ややこしく差別して世界を歪ませていると思ったのです。美容整形のCMで「もう少し鼻が高かったら...」なんて言うのがあって画面に世界平和と書かれているのです。まるで逆の、平和が絶対来ない証明の様なCMで驚きました。ふざけているのかな?全員水着のエビちゃんとかね。メディアは無差別に感覚を歪めてしまう恐ろしい宗教で、表面的な上とか勝ちとか美人イケメン等、純粋に憧れを望むだけで同時に対極する負を差別したことになってしまうとも言えるのではないか?と思います。小学校の文集で好きな言葉の欄に「直進」とガッチリ書いていたイタいおれが、もしも犯罪で報道されたらメチャクチャに言われるんだろうな、反社会的な駄目なウザい奴として。