JAHPON LAND( Pucci )

スケートファニチャーやステンドグラス作品などJAHPON.comとして活躍する作家 土屋隆亮(プチ)のメッセージ!

INTO THE MILD 53

2011年12月30日 | INTO THE MILD
 これまた弁解ブログフェア~年末やし。メディアの話に続いては「DJだらけの編集カルチャー」って、どこがクリエイチブなの?て毒を よく おれは吐いてる。
 中学生の頃の おれ、周りはBOOWYや おニャンコ時代 チープな和製歌謡の背伸び感や俗っぽさを嫌い、クールなゲーム音楽や洋楽ばかり聴いていたんや。ラジカセ持ってゲーセンへ!細野晴臣のゼビウスに痺れてY.M.O.マニアに。譜面を手に入れて、休み時間は教室の合唱用のオルガンで弾いたり ポケコンにプログラム打って鳴らしたり、終いには給食の放送で流して「つっちーこれ歌ねーじゃんかよー」とか野次られたりね。そんで当時の音の情報源はレンタルレコード屋で、貴重な盤を捜し廻ったんや!ある日返しに行くと 火事で閉店していて、貼紙に貸出中のレコードは差し上げます~だと。残念な事に 珍しいスネークマンショーのレコードをしこたま借りていた おれは もっといい奴 借りとけば良かったぁ~とかね!この辺りから珍しい情報を掘り探す習慣が身について ラジオやらMAD TAPE やらアニメやら、サブカルチャーに潜んでいる本物の作品と、メジャーのビジネス商売に取り込まれたニセモノを意識し始めるんや。周りの多くの友達と趣味が合わない実感はオタク仲間の人数で痛いほど感じていた。東京に行けば 専門店がある程 趣味の仲間に会えるんやな~と夢みたもんや。
 そして高校でスケボーにハマり東京に行けば ホコ天に何百人もスケーターが集まってる!とか、レアなアンティーク トイの店!だとか、レコード屋だらけ!とか興味を惹くモノだらけの憧れの夢の町になるんや。
 欲望のまま美大へ上京~探偵ばりの情報収集で 金も無いのに マニアックな店 場所を徘徊しまくり、全ては創作活動の資料集めと信じ切っていたんやわ。
 そして間もなくDJごっこブーム到来!「人生の全ての衝動は 女にモテる為にあるべき」と悟った頃のおれ 絶好の舞台な訳で、皆の知らない名曲を見つけて大音量でターンテーブルを操作すれば、まるで自分が演奏している様な錯覚!これは本当にモテる不思議な魔法で、男友達にも「何その曲!どこで見つけたの?」と 魔法の皿は奪い合い!同じ曲は かけらんないからね。先輩名DJの 鍋さんの操るFUNKは甘いラブソングで 女達は彼に抱かれている様に陶酔して踊るんや!あの光景はショックで忘れられない!実際 抱かれた女の子同士がライバルな筈なのに 全員が幸せそうに 同時に感じさせられている~「こ これが FUNKの真髄 ユナイト!」自分をアピールする様に汗をかきながら夢中で踊る女達はエロく裸に見えて、絶対 あそこも濡れてる!と おれ等も彼を崇拝したんや。
 ここで問題なのは 名曲のレコードとゆう物は、人気があって高額やって事!CDでは意味が無い。貴重なアナログ盤を所持している時点で 既にモテるんや!金があればモテるんか?いやいや高価になってから買ってる時点で遅いんやって。価値が上がるより先に見つける力!確かに金積んでその力がある偽装は出来てしまうんやけど。それに当然 操作技術も大事やし、大先生に「 場の雰囲気を感じて曲を選ぶと良くなるよ」とアドバイスを受けた。何せ初めてのDJで、緊張して かける曲順を決めていた おれ!リラックスして 適当に かけると良い感じに!やっぱ 鍋さんスゲーぜ と。
 当時収集していたレコードは JUMP BLUES とかJIVEと呼ばれる 豪華なホーンが入ったダンスに合う曲やったんやけど、ある時 鍋さんに連れてってもらったレゲエ専門のBARでのDJが ドーナツ盤オンリーでターンテーブルの塔の様なアダプターに投げ入れてプレイしていたのに衝撃を受け、ドーナツ盤DJを目指すんや。ドーナツ盤は安くて 楽しみとのバランスが おれには相応しい!DISCO FUNKの馬鹿にされがちな曲の中から意外と良い曲を50円で見つける快感は面白くて~踊れて笑える遊びは、どんどんモテる雰囲気とは離れてしまったわ。
 この頃から 「モテる事も大事やけど、面白い事の方が高度で奥深い」と悟るんや~モテないからシフトチェンジしたんやろけど。
 さて、「NO MUSIC NO LIFE」て言うやろ、大きな事言うわな~とは思いつつ 確かに~と認めてはいたんや。昨日までわ。
 年末警戒と呼ぶ消防団の年末行事で、二夜連続で消防車で管轄町内をパトロールして忘年会するんや。新兵の おれは 活動の都度 一番に来て 消防車の暖機やお茶の準備~本当に静かで 音で誰の車か判る程の 我が町!新婚後の孤独感が特に寂しい最近の おれはiphoneで音楽を流し続けての生活。消防の準備中もリーペリー先生のDUBを流しながらいた。続々と団員が集まり「ツッチー何や儀式やってるんか思ったわ」と。
 結論から言うと、ここには 趣味として音楽を聴く習慣が無いって事。まずレコード屋も無いし、アイドルの歌を歌番組で観ても CDを買う訳では無い。聴きたければ また歌番組で聴けるし。カラオケで誰かが歌うのを聴くとか。根本的に、自分の習慣が珍しいって話になって「外国の曲なんて サスガ東京やね~」って。これにはハッとして カルチャーショック!おれは何で音楽を聴いてんのやろ?って疑問で頭の中 忙しくなるんや。
 音楽 楽曲はコミュニケーションツールだという話を学んだ事がある。あるバンドやアルバム 曲について あーだこーだと好みの話をしていたら、知らない奴同士でも かなりの暇は潰れるね~友達になれるね~。でも 本当に必要な事なのか?考えた事も無かった問題!カルチャーの情報を全く利用しないで生活するなんて、頼り過ぎだった自分が恥ずかしくて 笑える!町にグラフィティ落書きが一つも無い この町に惚れ込んで来た訳やから カルチャーから距離を置きたい気分が確かにあって、求めては いたんやで。これは都会の病?どの段階からなのか?音楽の誕生から?何かを表現する誕生から?ここには何にも無くても平気な町があり、消防車の運転やお祭りの話で大笑いで酒を呑める。
 文明 文化 って何なんやろ?孤独を紛らわすツールだとして、それを意識してしまった瞬間から 曲を聴きながら自分が 孤独を紛らわしている事実が際立って更に孤独だと感じてきた。静かな田舎の山、最近完成したミニランプで大好きな曲を聴きながらスケートしていたら、いくらでも孤独で いられそうな程、音楽の力は偉大だよ。楽だよ。こんな便利な物がどんどん溢れて 人間が孤独でも平気な様に文明は進歩して来たんやな!一人一つ携帯ゲームを持った家族や仲間が集う景色!それぞれが地球の裏側の人とネットでゲームしてたりね。「パラドックス的に対策が問題を産み出す 追い越す瞬間」人間にとっての第三者、宇宙人みたいなんが観察してたら 滑稽やろなぁ~悲しい進化やわ。
 まあ「ずっと音楽流してる代わりにテレビあんまり見んからな」って話で納まったけれど、生活の習慣とは複雑なものやな。音楽禁止の日を自分で決めてリハビリしますわ。
 宴会は年忘れの「さんこやわ~」と最上級に酷さを表現される酔ってメチャクチャな感じに!笑い転げる中、いつの間にか おれの裏のあだ名が「おじいちゃん」になっていて爆笑!普段は つっちーなんやけど、マイペースなテンポやニヤニヤしたままボケた感じが納得でピッタリ来たわ!ポーやんにも大受け。ほんま さんこやったわ~。
 こんな逆単身赴任の孤独も、近所に散らばってる団員との絆を想うとニヤニヤと暖かくなります。新年8日の出初式 一斉放水からの新年会が 今から楽しみやわぁ。
 そして明日の年越しは、姫路でポーやんの兄弟の子供達も大集合の賑やかな年越し!一泊で一人帰らなければやけど、10日には野依人を連れてポーやんが京丹波へ帰って来ます!ああ、嬉しいな~~「しーあわせーはっぴ~~」 ああぁ!ほら、坂本冬美の声が聞こえちゃった! カルチャー依存病やね!ま いいか。
 今年一年 ありがとう!良いお年を!





INTO THE MILD 52

2011年12月26日 | INTO THE MILD
 おれは よくメディアの悪口を言ってしまう~と自覚しているんやけど、昨今の原発関連のブロパガンダや利権 出資関係からの問題で 流される情報を、鵜呑みにせず疑おう~って風潮が定着しつつある様子に対し ええ事やん、と思いつつも こうなるとメディアの大切さを唱えたくなってしまうワケなんや。
 高校生の頃 おれにとって情報とは宝物で 知りたい事が山ほどあったわけ。宝島 スタジオボイスや流行通信 等のカルチャー誌は勿論、特にスケートボードの情報が少な過ぎて 遂には 英語のスラッシャーマガジンを取り寄せていたくらいなんや。最新のボードデザインや大好きなブランドの広告は自由且つ斬新で 本物のTシャツを買う小遣いの無いおれは、広告欄の小さな見本の絵や写真を元に 更には実在しないTシャツを、ヘインズの3パックに ポスカで自力模写して偽物を作って着てたんや!それは仲間から 馬鹿にされ 笑われたり面白がられたりしたけど、ある日同級生に「おれにも描いてくれ」と頼まれて500円で引き受けた時、それが おれの人生初の仕事やったんやで!当時キースヘリングに夢中で誰にもバレない様に学校中にチョークで落書きする~っていう実験を続けていたおれ、文化祭で校門のデザイン依頼に答えた事で それまでの悪行が全てバレた~って形でグラフィティー行為の体験学習は終了した青い春!サンプリングによる再構築ポストモダンの勉強に於いて、パクリとパロディ、ポストモダンの微妙な違いを理解するには 思想的な側面も大きくて大変な時間がかかったわ。
 混沌化する現代美術の世界で それは「アートの文脈」なんて呼ばれ方をする歴史年表で、細分化する現代美術には何よりも大切なのが この時間軸だと信じているんや。「新しく見いだされた価値の提案」この「新しい刺激」にタイミングは絶対でしょ?最前線で模索していなければ偽物 あるいわ便乗と呼ばれてしまう世界!知らなかったでは済まされないルールは、結局自分自身の内側での厳しさ「美学」が主で 拘束力も逮捕もされない。
 この歴史年表こそが「メディア」全体であって、判りにくい事に美術手帳だけでは把握出来ない時代になってしまっているんや。まずメジャーとは何だ?って線引きから むずかしい!アンダーグラウンドを気取り好む人もいるし。全国誌でも 東京ばかりの内輪受けメンバーで引き立て合う雑誌も多い。テレビも視聴率も 本当の事なんてわからないんだから。「承知しました。が小学校で大流行」って同局が流し それを見て 遅れてなるか~と不安な子が流行る構図。韓流グンソク君の初来日の空港でのファンは 2,000円と軽食付きバスのバイトだったと言う事実!呼び水?に 今では本物の天然ファンが沢山でしょ、バイトからのファンもいるかもやし。広告代理店が仕組むビジネスがアートに含まれるか否かも 既に判らない時代。ADCからギネスまで 会員制集団でのネームバリュー。
 それでも少しでもプライドを持っているメディアはコンセプチャルなアイデアが関わる種類の物に対し「新しいか 既に有るか?」くらいは判断してくれるんや!より新しいニュースを正しく伝えたい習性も助けて 既に発表した事のある物に 似ている物を 発表したがらない。コストや会社の規模等の事情からスケートファニチャーの特許問題は このメディアのバリアーによって守って頂けているんや。おれには もう一つ「ドラえもんのステンドグラス」に代表される 「ARTとしての変わったステンドグラス作家」と言う この2つの見えない特許で二刀流なんやでぇ~90年代恥ずかしげも無くテレビや雑誌に活動した甲斐があったわ。
 「一般的に認めてもらえるだろうか?パクリと野次られはしないか?」こんなPOPな感覚が何かを発表する様な人には絶対必要な条件!そして その戦いの舞台こそが やっぱりメディアであって、おれの感覚では やっぱり紙。「歴史としての時間の感覚が曖昧なネット系メディアには 紙に印刷してしまう責任の重いメディア程の信用は生まれない」と思うんや。ネットのアーカイブ訂正なんて簡単やし 早くて手軽でも 大事なプレッシャーを背負っていないハンデは 文化を滅ぼすお手軽さに繋がる気がするわ。
 アートに関して、今「民芸」気分が おれのブームで続いている。誰でも手が届く 等身大の 正直な価格で 地道に続ける地味な商品。それらしい格好良いネーミングで企画されるファッション的な クリエイチブの れんじゅう と同じに扱われてしまうのは嫌や!単発アイディアでは無いしぶとさ!本当にこれで生活しています!「餅は餅屋で言う基本営業の餅」の部分が本当に大事だと言う事!とかくアーティストやクリエイターを気取る輩は 単価が安く面倒な小さな餅を普段作らずに 大きな鏡餅の制作依頼ばかりを求めるんやな!それは本来小さな餅を売る為のピーアール広報活動 だったりするのだが「ピーアールしかやらない 店構えしか無い 風船餅屋」が多いんや~これはすぐバレるもので みっともない!確かに開拓する分野の新しい商売に於いて ハッタリの大切さは勿論やけどね。かくいう おれの 変態的な立体ステンドグラスランプが売れまくった事なんて無いんだから~実際に商売になるのは 真面目に実用的な建築用の窓ステンドグラス依頼ばかり。だからこそ今 ストイックに小さな作品の 車のルームミラー用のステンドグラスペンダントをコツコツ作っています。これがまた売れるんや~そして追加注文に嬉しい悲鳴!歯を食いしばって頑張るのです。 
 時代は広告代理店が威張る世界、誰でも脳みそやセンスで稼ぎたがる それなりに楽では無いやろけど末端の制作役に比べたら 楽な役割とも言える。火星人の様な頭脳中心の腕の無い奴ら。正にピーアール広告ばかりを しかも代理でやるんやから どこまでも空洞な存在やね!ヒットの策略やキャスティング、デザインの力も認めるけど 人間としたら みっともない。うつくしくない。文明末路の人間~つるつるした画面をするするなで回し タップ?ボタンを押す筋力まで楽に楽にしようと進むテクノロズィー。「どうかタイムマシンが発明されませんように。眼を閉じるだけで十分です/二階堂」ああ!たとえ流行らずモテなくても、 おれの子供には人間らしい価値観、 原始人の様な感覚、意志を持った戦士に育ってほしいもんだぜベイベ~。