霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

旧山陽道(生野屋から福川まで)

2009年04月26日 | 旧山陽道

2009年4月26日(日)
先週の続きで、今日はJR岩徳線生野屋駅(下松市)からスタートした。当初は一つ西の周防花岡駅からスタートするつもりだったが、ウン十年ぶりかに岩徳線に乗って周防花岡駅に着いて見ると、駅の看板に次駅が「生野屋」と書いてあって、昔はそんな駅は無かったのにぃと思い、ついでにもう一駅乗り過ごしたのだ。
駅に着いてみて吃驚(写真1)。他の岩徳線の駅とは違って、後から付け足したような頗る簡素な駅だった。一見すると都営荒川線の駅のようでもあるが、あちらは複線で電車だし切符の自動販売機もあるが、ここはゴミ箱以外にはなぁ~んにも無くてシンプルなのだ。
生野屋駅⇒花岡⇒久米⇒遠石⇒念仏坂⇒速玉町⇒徳山駅前⇒浦山⇒川崎⇒政所⇒富田⇒平野⇒温田峠⇒福川駅と辿り、約5時間半の37,075歩だった。今日は日柄がいいのか、花岡八幡宮と遠石八幡宮の二箇所で結婚式に出会い、部外者ながら若い二人の門出をついでに祝っておいた。
室町時代創建と言われる見事な多宝塔と重厚な拝殿を持つ花岡八幡宮に参詣し、少し先で山陽新幹線をくぐるのだが、橋脚がえらく頑丈に補強してあるのが目につく(写真2)。このあたりの新幹線の橋脚は、追加のコンクリートだったり、写真のような鋼鉄製の補強だったり、或いは、鉄筋を何重にも巻き付けてあったりと、いろんな方法で補強工事が行われている。たかだか30年やそこらでこんなに補強をしなければいけない現代の土木工事って、ホントに大丈夫なのかねぇ?
遠石八幡宮にも上がってみたが、鎌倉時代末期の1320年に造り替えた洪鐘があり、案内板によれば、平安時代末期の壇ノ浦決戦の前年に、ここ遠石でも源平両軍の衝突があり、その際に破損したので造り替えたそうな。源平の戦いは、一ノ谷・屋島から壇ノ浦へと続いたのだと思っていたが、こんなところにも歴史の一場面があったのだ。
川崎観音にも上がってみた。現国道2号線のすぐ北側にあって、そばは何度となく通り過ぎているが、参詣したのは初めてだ。ここにも源平合戦の足跡があって、平家の悪七兵衛景清という武士が、安徳天皇を奉じて九州に向かう途中で暴風雨に遭い、夢枕に立った観音菩薩のお告げでここに安置すると、とたんに暴風雨が収まったらしい。なぜか安産にも御利益があるそうで、本堂奥に、布で作られた乳房が沢山奉納されているのには(写真3)、ちょっと吃驚した。しかし、『お乳は、授乳祈願をすましてお掛け下さい』なんて、敢えて書かなくてもいいような気が…
政所の先、旧山陽道から南に300m程外れたところにある勝英寺にも立ち寄ってみた(写真4)。毛利元就が富田の一揆を静めにここまで来たときに、三人の息子達に宛てて書いた書状が、かの有名な「三矢の教え」ということらしい。確か防府市の毛利博物館に「
三子教訓状」というのがあったと思うが、このことだろうナ。どこかで見たドラマか映画では、病床に伏せる元就の枕元に集まった三人の息子に、矢を渡して折らせてみたような記憶もあるが、あれはフィクションだったか。
今なら、矢を三本渡して『どうだ?』って言ったら、『サイダーが欲しいぃん?』ってギャグになってしまいそうだが………おあとが宜しいようで。



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