愛大将棋部雑記

日々の日記。いわゆる雑記。当番の人は書くよーに。書かないと・・・・(¬ω¬)ニヤリ

まきばおーの卒業記念自分語り(隙を与えたお前らが悪い)

2022-03-26 00:42:18 | 雑記

こんにちは、まきばおーです。

時が経つのは早いもので、まきばおーももう卒業してしまうようです。留年してないよ。

最後だし自分語り老害雑記書くか〜と思いキーボードを叩いています。4年間の振り返りでもしてみようかな。
そういえば最初に雑記を書いたのはいつだったかなと思い見返してみたところ、2018年(1年生時)の6月に自己紹介雑記を書いたのが最初だったようです。

https://blog.goo.ne.jp/j_chess_ehime_univ/e/1c50bdb7134db01b2999a3b434645b8e

この時期僕はほぼ毎日のように部室に通い、ほぼ毎日のように先輩方に「将棋指しましょ〜!」と声をかけ、ほぼ毎日のように全敗で帰っていました。特に、Sにゃん先輩とNお先輩の少なくとも片方は大体部室にいてくれてて、毎日のように両先輩にフルボッコにされてました。ウケる。
当時部室内でのTier1は将棋ではなくシャドバでしたが、Tier2の将棋にも付き合ってくれる先輩方は本当に心が広いなぁと思っていました。

 

 

もしも今部室が使えていたら、僕は毎日プロセカをしていたことでしょう。

 

その年の11月に愛大は秋中四で優勝!僕はA級メンバーに入っていませんでしたが、学生王座戦には同行し、メンバーに入れてもらえることに。
ちなみにその時の秋中四の戦績は団体C級で負け越し・個人戦予選2連敗で予選落ちと、これでもかというくらいボロボロです。
学生王座戦では「捨て駒 兼 疲労時の穴埋め」としてオーダーに組み込まれました。

これが本当に大きな刺激で、後にも先にも僕の将棋に対する熱をこれ以上に引き出させてくれる出来事はありません。断言できます。

今は時期的に難しいですが、学生王座戦を見たことのない学生将棋関係者は絶tっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったいに見た方が良いです。
いろいろな方から共感していただいているので間違いないと思いますが、あれは本当に価値観が変わります。言葉にできないあの熱気がすごい。

3局出て全局フルボッコでただただ粘って無理やり勝負形を作るものの完敗し、感想戦で「なるほど〜〜〜〜。さては君、将棋上手い人か?????」と首がもげるほど頷いたあの光景が今でも思い出されます。
全国の強豪と盤を挟んで40-60の持ち時間でお互いに頭をフル回転どころかオーバークロック並みに回してるあの瞬間、めっちゃ楽しかった。
僕はこの学生王座戦以来、絶対にまた全国大会に出てこの空気を味わうんだと心に決めました。

当時ウォーズ初段。理想と現実の乖離具合で風邪をひきそうです。

 

ということで1年生時の最大の出来事は「学生王座戦に行った」です。

 

次に2年生。

学生王座戦が終わってからずーーーーーーーーーっと将棋を指し続け、その勢いのまま副部長になりました。
というより僕以外の同期はほとんど部室から姿を消していたので、選択肢が僕しかなかったんだと思います。何故だ・・・。

これまでは部室に先輩しかおらず大体僕より強かったので教わってばかりでしたが、後輩には当然級位者や初心者がいます。
「他人に将棋を教える」ということがほぼ初めての体験で苦労した記憶がありますが、1年生の5月から塾講師のアルバイトをしていた経験が生きたのか、割と普通に教えられてたと思います。知らんけど。

春中四の個人戦では予選は危なげなく突破しましたが、トナメで運悪く強豪のいるブロックを引いてしまったのもあったりして振るわなかったです。棋力不足も勿論ある。

団体では個人戦績で勝ち越し、チームも3位に入り今は亡き西日本大会に出場(今年は生き返らせる方針らしい)。
そこそこ勝てて嬉しかった記憶があります。

 

春はそこまで印象に残っていませんでしたが、来たる2019秋中四、会場は愛媛大学。運営に手間取ったものの、まきばおーはその有能っぷりで運営に貢献。
移動・外泊等の疲労もないので良いコンディションで大会に臨めました。
先述した通り「絶対に優勝して学生王座戦に出る!!!!!!!」という強い意志を持っていました。気合だけはトップクラス。

 

しかし現実はそう甘くはなく、優勝は広島大学。圧倒的な強さで中四を制圧しました。

優勝レースに残れるかどうかが決まる広島大学戦ではまだまだ難解な局面で自玉の3手詰めを見逃す頓死をしてしまったのが記憶に新しいです。

対局相手のU村くんの「え?!?!3手詰めだよそれ?!?!?!良いの?!?!?!?!これ団体戦だけど?!?!?!?!優勝争いだけど?!?!?!?!?!」みたいな驚いた顔がいまだに忘れられません。多分あの時のU村くんの目は現代のプリクラよりも大きく見開いてた。
3手詰めの1手目を指されるまで頓死に全く気付いておらず、正直自分でも何が起きたのかよくわかっていません。

 

ということで愛媛大学は優勝できず、学生王座戦の中四国代表は広島大学になりました。

個人戦は春中四と同じ人に予選第1局でボコボコにされるも、その後2連勝でなんとか予選通過。
本戦では当時の僕が人生で1番将棋を教わってたNお先輩と激突。
良い勝負でしたが一歩及ばず、結局春と同じ成績で敗退してしまいました。

個人戦はともかく、団体戦にあれだけ気合を入れて対局に臨んだりオーダーを考えたりしたのに、結果として現れなかったのは非常に悔しかったです。


本当に悔しかったです。悔しすぎたのか学生王座戦当日早朝、僕は何故か四日市駅で王座戦出場予定のU村くんを待っていました。

「学生王座戦でれないけど・・・・・・去年のあの空気が麻薬すぎて・・・・・・来ちゃった⭐️」

観戦めっちゃ楽しくて草でした。広大部員とも仲良くなれたような。
これがあってか、当時大学院生だったH山先輩に「まきばおーは観る将六段」と認定を受けました。よくわかんないけど多分アマトップクラスです。

 

ということで2年生時の最大の出来事は「3手詰め頓死をして悔しすぎたあまり、観る将六段になった」です。

 

そして3年生、ついにまきばおーが部長となり愛大を引っ張っていくというところ・・・・・・・某Cにより将棋大会が潰れまくり、2020年3月以降は部室が物置としてしか使えなくなりました。

3年生以降は部室で1局も将棋を指せていないので、部室での通算勝率は恐らく2割にも満たないと思います。
1年生時の負けが多すぎる。

恐らく2020年は多くの大学将棋部が活動停止を余儀なくされたと思います。
おかげで将棋倶楽部24のアクティブが常時多くて非常に助かりました()。

3年生最初の大会は9月に開催された中四内の交流戦。
強豪があまり参加していないというのもあって、個人戦では奇跡的に4位に滑り込みました。初めてそれなり以上の結果が出てとても大きな自信になりました。

そして来たる秋。対面での開催でしたが、途中のアクシデントで大会は中断。
非常に高度な(?)論争がありつつも、結果を見ると優勝はやっぱり広島大学でした。強い。
しかし某Cの影響で学生王座戦の出場権は回りに回って、最終的には岡山大学へと渡ることに。

個人戦ではベスト16→8で他大同期の強豪と激突。お互いよくわかんない将棋をよくわかんないなりに頑張った結果、指運が来てくれたのか大金星。
ベスト8→4では同大学の後輩と。自分の方が得意と思っていた序中盤で相手に圧倒され非常に苦しみましたが、中終盤でなんとか先輩の意地を見せて勝利。

準決勝・3位決定戦では共に強豪相手に完敗で最終結果は4位!上位に十傑戦出場を辞退せざるを得ない方がいて、中四国の第3代表として十傑戦に出場する権利をギリギリ獲得しました。

棋力不相応なことは自覚しておりましたが、あの四日市の空気を、次はまた選手として感じられることが非常に嬉しかったです。

十傑戦当日、緊張のあまりお腹が痛かったですが、全国の強豪と盤を挟んでいる間はめちゃくちゃ幸せでした。
結果は全敗でしたが「また四日市に来れた」というのがとても嬉しく、敗退後に会場の空きスペースでオンライン講義を受けるのも全く苦ではありませんでした。その講義落としたら4年生に上がれていなかった可能性が大きいので本当によかった。

 

ということで3年生時の最大の出来事は「十傑戦に出られた」です。

 

最後4年生。
僕は何を血迷ったのか、最終学年のこのタイミングで中四国学生将棋連盟の理事長になりました。

というのも「僕以外に適任者(というかできそうな人)がいないな〜」が本音です。
実際僕以外に立候補はいなかったし、僕がやれば全部丸く収まると思っていましたし、中四国全体を見て消去法的に僕が最有力選択肢として残っちゃうから、どうせなら!と立候補しました。

残りの三役には普段からTwitterで絡みのある2人が立候補してくれたおかげで、何か三役で話し合うたびに「言いたいことオブラートに包んだ結果、誤解されても困るよな」と思いながら激しいレスバトルを繰り広げていました。

激しいレスバトルの結果、春中四は中止。
オンラインで交流戦をやる流れになりましたがここで僕の有能っぷりが発揮されます。

昨年の交流戦や各種ネット大会を見ながら考えていた問題点を可能な限り改善した大会運営を披露しました。運営めちゃ楽しかった()。
この経験は後に生きるのですが、かなり上手くやったと自分でも思っています。周りからの評価も上々でした。

そして秋中四、待ちに待った対面での開催です。
団体戦の個人戦績は4勝2敗。チームは3勝3敗で勝ち点差で5位。
気合を入れて臨んだ個人戦はベスト16まで進んだものの、一歩及ばずでした。

 

正直、3年生時点でこれでもかというくらい結果を出したつもりでいるので満足でしたが、やっぱり悔しかったようです。
クリスマスの四日市に団体メンバーでも個人代表でも無いまきばおーの姿があるではありませんか()。
髪の色が白くてそれをTwitterで宣伝してたおかげか、沢山の人が声をかけてくれました。ウレシイネ。

特に京大将棋部Twitterの中の人には「めっちゃかっこいい!」って目の前で褒めてもらいました。京大は頭が良いだけでなく人を褒めることに関しても優秀なのか・・・。
男ウケは非常に良い髪色だと思ってましたが、女子ウケはあまり良くないだろうなと思っていました。実際どうだったのかは不明。

基本的に観戦禁止の大会でしたが、地区理事は観戦しに来ても良いということでしたので「せっかく理事やってるんだし、権利は行使し得では?!?!」と思い学生王座戦では徳島大学の応援を、十傑戦では中四勢の応援と、女流の棋譜取りをお願いされたのでそれをウッキウキでやってました。棋譜取りバカ楽しい。

クリスマスの夜は「ぽしゃけ飲みて〜〜」と思いながら1人で四日市の繁華街をふらついてました。
髪色でキャッチのお兄さんに同族と思われたのか、めっちゃ声かけられました。

 

そんなこんなで年が明け、キリンもないしこれでもう卒業か〜と思っていた頃、Twitter上にあるツイートが流れます。

 

そして始まりました「全国地区対抗大学ネット将棋団体戦2022」!!!!!
大会準備等も含めて主催・運営・選手を務めました。偉い、偉すぎる、もうどっかからお金とか勲章とか貰っても良いと思う。
無理ならTwitterフォローしてくれ。

運営についての細かい話は省きますが、日程がバカみたいにバカでした。

3/16 実家から松山に帰宅
3/17 大会開始
((3/18 大会期間に誕生日を迎える))
3/23 大会終了
3/24 引越し

つまり、大会運営をしながら引越しの準備をすることが確定している状況でした。

別に大会運営はあんまし疲れないしそこまで支障無いでしょと思ったのが甘かったです。

確かに運営そのものはあまり疲れないのですが、他人の対局を観戦してると無意識のうちに頭の中で盤面を読もうとしているのか、何も考える気が無いのに盤面を画面に表示しているだけで大量に体力リソースを使うことに気づきました。

また、自分の対局がある日は勿論引っ越しどころの騒ぎじゃありません。
この大会では2局指したのですが、どうしてか2局とも全対局の中で1番遅延していました。みんなどうやってそんなに早く終わらせてるの・・・?

この原因は恐らく僕の将棋の指し方にあります。
僕は他人と比べてあんまり手を広く読んでおらず、少ない手を深く読もうとするタイプなので、思いも寄らない手が飛んできたときに思考がフリーズすることが頻発します。
特に手の広い序中盤でそういうことが起こりやすく、そのせいで序中盤のよくわからないタイミングで長考に入りがちです。
そうなると終盤の入り口では勿論秒読み。形勢が酷いわけでもないのに秒読みでノータイム指しをする神経を理解できない類の人種なので、ほぼ毎回60秒フルに使った上で指します。

となるとそりゃ時間もかかるよねといった感じです。
持ち時間をちゃんと使い切るのは自分の良い所だと思っていますが、上手く使えているわけではないというのがネックですね。

 

となんやかんやで疲れることに気づいた僕は、ある日から自分の対局の日以外は盤面を見ずに運営することを心に決めました。

最終日の23日(引っ越し前日)にはもうこれ引っ越し準備終わらんと思っていましたが、隣の大学の後輩Uくんがわざわざ遠いところから応援に来て手伝ってくれました。

 

ということでダラダラ書きましたが4年生時の最大の出来事は「中四理事長になって色々やった」です。

 

大会も無事終了し、引っ越しもなんとかなり、いよいよ今日から4年間住んでた愛媛も地元の広島も離れて新社会人への一歩を踏み出します。

 

 

最後に4年間の総括をして締めようかな。

まず、大学将棋で僕の人生は大きく変わりました。
ずーーーーーーーーっと将棋に誘ってくるめんどくさい後輩の相手をしてくれた多くの先輩方にとても感謝しています。
いつの間にやら中四の大学将棋界隈ではそこそこの有名人になってしまいました。他の大学の方が気さくに絡んでくれてたおかげで理事長の仕事をやり遂げられたと感じています。
僕は非常に高い熱量で大学将棋に取り組んでいたようですが、それを後輩に強要していたのかなというのが反省点です。それに気づいた時からは緩めていたつもりではあります。
全国大会、特に十傑戦に出られたのは本当に僥倖でした。とても楽しかったです。

色々書きましたが、やっぱり僕の大学将棋の中での1番のターニングポイントは1年生時の学生王座戦です。
あれが無いと今頃僕は将棋を続けていたのかどうかすら危ういです。

いつかまた、あの大量の観戦者と選手たちによって作られる空気感を味わえる日が戻ってくることを祈っています。

 

 

 

以上、まきばおーでした。この4年間、大学将棋に携われて本当に幸せでした。

またどこかで会いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S. 毎年クリスマスに1人で四日市に行っていたせいか、恋人との仲が1年以上続いたことがありません。助けてください。

コメント
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