ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

誕生日とバプテスマ記念日を迎えた先週、私に与えられた聖句 その1

2011年10月11日 | 日記
わたしの愛にとどまりなさい。
新約聖書:ヨハネによる福音書15章9節
(新共同訳、山形南部教会2007年、年間聖句)



こんばんは。もう夜になるのが早くなりましたね。

今日も山形市は良いお天気でした。

ただ、私の心はと言うと、涙雨(なみだあめ)でした。

勿論、嬉しい事も、「ありがたいなあ」と思うこともたくさんあったのですが、どうしても、人間は(・・・いや、私だけかなあ・・・?)その悪い事や悲しい出来事、怒りがおさまらない出来事に心が傾いて(かたむいて)しまうものですね。

そんな中で、今日は「先週ずっとブログを書かなかった間、神様から頂いた聖句を皆さんにご紹介しよう」と思って書かせて頂きました。

そう思いながら、どの聖句をブログの一番最初に持って来ようかなあ」と、メモしておいた聖句を、聖書で確かめ、確かめ書いていたら、2007年の元旦礼拝で、南部教会から「今年の年間聖句(ことしのねんかんせいく)=その年一年、教会員が心に留め、クリスチャンとしての生活を歩ませて頂く聖句」が書いてある黄色い栞(しおり)が出てきました。

その聖句に、かなり波立っていた私の気持ちも、少し慰めて頂いたので、冒頭に書かせて頂きました。

これからご紹介する聖句は、タイトル通り、先週10月6日・私の誕生日と7日・私のバプテスマ(洗礼)記念日を迎えた私に与えられた聖句です。たくさんあるので、今日はその半分くらいご紹介いたします。どうぞ読んでくださいね。


あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。
なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女(しょじょ)として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げた(ささげた)からです。
新約聖書:コリントの信徒への手紙 Ⅱ 11章2節(新共同訳)



われらの力である神に喜び歌え。
ヤコブの神に喜び叫べ。
旧約聖書:詩篇81篇1節(新改訳)


わたしが、あなたの神、主である。
わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った(のぼった)。
あなたの口を大きくあけよ。
わたしが、それを満たそう。
旧約聖書:詩篇81篇10節(新改訳)




主の慈しみ(いつくしみ)は決して絶えない。
主の憐れみ(あわれみ)は決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
あなたの真実はそれほど深い。
旧約聖書:哀歌3章22~23節(新共同訳)


祭壇の火は絶やさず燃やし続ける。
祭司は朝ごとに薪(たきぎ)をくべ、その上に焼き尽くす献げ物(ささげもの)を並べ、更にその上に和解の献げ物(ささげもの)の脂肪を置き、燃やして煙にする。
旧約聖書:レビ記6章5節(新共同訳)



祭壇の火は常に絶やさず燃やし続ける。
旧約聖書:レビ記6章6節(新共同訳)




また、彼らに言われた。
「何を聞いているかに注意しなさい。
あなたがたは自分の量る(はかる)秤(はかり)で量り(はかり)与えられ、更(さら)にたくさん与えられる。
持っている人は更(さら)に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
新約聖書:マルコによる福音書4章24~25節(新共同訳)





また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて(まいて)、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎(くき)、次に穂
(ほ)、そしてその穂(ほ)には豊かな実ができる。
実が熟すと、早速(さっそく)鎌(かま)を入れる。
収穫(しゅうかく)の時が来たからである。」
新約聖書:マルコによる福音書4章26節~29節(新共同訳)




先週から今週に続いてずっとそうなのですが、夜お風呂に入る前、台所で足湯につかって温まりながら読む聖書の御言葉(みことば)にとても慰められています。
御言葉(みことば)とは、クリスチャン用語(?)で、聖書の言葉をそう呼ぶみたいです。
私もクリスチャンホームに育ったわけではなく、家族は勿論、親戚一同、誰もクリスチャンはいないので、よくわかりませんが、南部教会にお世話になって10年、「聖書の言葉、聖句を『御言葉(みことば)』と読むんだなあ」と学びました。
最初は「ちょっと変な言葉?」と思いましたが、10年経った今は、聖句(せいく)と呼ぶより、御言葉(みことば)と呼ぶのが、私にとっては自然に素直にそう呼べるようになった気がしています。

「聖書は神様からのラブレター」と言う言葉があります。
私は洗礼を受ける前、つまりノンクリスチャンだった頃、具体的には、前の結婚がうまくいかなくなった頃、教会に通うようになりました。

その時聖書を読んだり、メッセージを聞くようになってから、この言葉を良く耳にしました。「聖書は神様からのラブレター」だと。

大変有名な(と、私は思っているのですが)旧約聖書:イザヤ書43章4節(新改訳)の御言葉(みことば)

「私の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」


と言うような、涙が出るようなありがたい、愛の言葉を頂くと、「あーやっぱり聖書は神様からのラブレターだなん♪」なーんて思えるのですが、結構聖書って厳しくびしっと書いてあるところがあって
「ええっ!そうなの?」思うような、厳しい言葉が聖書にはあります。

例えば、これなんかそうじゃないかな?

「あらわな戒め(いましめ)は、隠された愛にまさる。」旧約聖書:箴言27章5節

です。

最初読んだとき、甘やかされて育ったわがままな私は「イッター(=痛い~)この言葉~」と思いましたもん。

でもね・・・・今は私の座右(ざゆう)の聖句にしています。
人間、甘やかされて育ったらろくな子に育たないものね。
私の両親はとても優しくあたたかい父母でしたが「ここぞ!」と言うときは、本当に厳しく叱られました。特に、いつも優しくユーモラスな父の方が、その傾向が強かった気がします。
でも、今45歳になって思うと「それは本当にありがたかった」と心から思えます。

母が良く言ってくれるのですが

「シズコ。厳しいことを言ってくれる人がいるうちが花(ありがたいの)だよ。
そう言う事を言って下さる方は、お前のことを思って言って下さるのだからね。」

と。

・・・でもねぇ・・・なかなか最初は受け容れられないんですよ・・・母にこの言葉言われると、「そうなんだよなあ」って頭ではわかるんだけど、ふくれちゃったりしてさ・・・

こればかりは、なんぼ年齢(とし)を重ねて45歳にならせていただいた今も、あんまり変わらないかなあ・・・。
でも、努力して、「耳が痛くても、傾聴(けいちょう)しよう」と言う気持ちに最近なってきたのは、ありがたいです。

洗礼を授かって10年目。まだまだビギナークリスチャンの私のために、どうぞ続けてお祈りくださいね。

この折り紙の花は、ある教会の牧師先生の奥様から頂いた折り紙の薔薇の花です。
とても綺麗なので、マイカーDUETちゃんの中に、ギデオン教会から頂いた最新版の聖書と一緒に飾っています。

あ、アゲハ姐さ~ん、Ceciliaさ~ん、バースディコメントありがとうございました。
嬉しかったよ~
今日もまだちょっと疲れているのと、明日は出かけて遅く帰ってくるので、お返事はあさって以降になるけど、もう少し待っていて下さいね。

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