可愛いものが好きだった。
いや、過去形ではない。
好きである、と現在進行系で言わなければならないか。
特に、女性的な柔らかい可愛さが好きだ。
見ていて何とも言えない暖かな気持ちになる。
それが、「自分も可愛くなりたい」と思うまでには時間がかかった。
私はもう世間から立派なおじさんと呼ばれる歳である。
が、ここにきて、急に可愛くなりたい欲が湧いてきた。
何故だろう。
おそらく、SNSの普及で「可愛い」がより身近になったからか。
普段の生活でSNSは切り離せない。
そんな中で、日々溢れかえる「可愛い」。
それらが私を刺激したに違いない。
ちなみに、セクシャリティとしてはノーマル・・・所謂ストレートである。
別段自分の性別に疑問を持ったりしていないし、恋愛対象は女性だ。
それでも、「可愛い」には憧れる。
微笑ましく、同時に生命力の強さまで感じる程だ。
そう、私は可愛くなりたい。
結果、「女装してみたい」である。
化粧して、着飾って、女性のように振る舞ってみたい。
おじさんとしては中性的で比較的「可愛い」に近い容姿の私である。
化ける可能性はあると見ている。
そういえば学生時代に意味もなく髪を伸ばし結んでいたこともあった。
あれは、もう少し手を入れればなかなかだったのではないだろうか。
ともあれ、女装である。
ガチ勢の間では常識的なことも、私は全く知らない。
ズブの素人である。
何から始めればいいのか。
まず、化粧の仕方だろうか。
そういうことは妻に聞いてみてもいいかも知れない。
何でも話せる妻である。
笑って教えてくれるだろう。
画像加工アプリを使うことも考えた。
今は多種多様な加工アプリがあるという。
それらを用いれば、比較的容易に女装できるのではないか。
しかし、それは何だか違うように感じた。
アプリを通した虚構のような。
それより、実際の自分の方を加工し、女性に近づける道が正道と思った。
服装はどうしようか。
こちらはさすがに妻のものを借りるわけにはいかない。
サイズが違いすぎる。
しかし「可愛い」を求めるには避けて通れぬ道だと思う。
こういう時、ネット通販の強さと弱さを思い知る。
誰にも知られずに買うことができる、という強み。
試着ができない、という弱み。
もどかしい。
都会には女装専門の服屋もあるらしい。
女装専門?
何だか異世界の話のようだ。
それで利益が出るのだろうか。
・・・出るのだろうな。
存外、広い世界である。
まあ、ここはネットショッピングで少しずつ買っていくしかない。
現段階ではそれが精一杯だ。
と、ここまで具体的に考えて、根本的な問題に突き当たる。
私は――女装姿を誰かに見せたいのであろうか。
例えば妻である。
女装した姿を見せて、「可愛い」と言って欲しいのだろうか。
或いは。
SNSに溢れかえる「可愛い」の中に、自分の写真を投げ込みたいのだろうか。
何だか分からなくなってきた。
私は可愛いものが好きだ。
その概念が好きだ。
だからそれと一体となりたいと考えるのは、自然だと思う。
だが、その姿を誰かに認めてもらいたいというのはまた違う。
承認欲求というのだろうか。
それと女装を結びつけるのは、何だか違和感がある。
あくまで、私は、私のために、女装をしたいのだ。
その過程で、妻やお店など、様々な人の手を借りるだろう。
しかし、それらの人々のために女装するわけではない。
認められるために女装するわけではない。
私が、「可愛い」の一部となる喜びのために女装したいのだ。
自分だけの、密やかな楽しみ。
そういう趣味があってもいいじゃないか。
別に隠そうというわけではない。
もちろん無駄にオープンにするつもりもないが。
それこそ、妻には最初に相談しようと思っている。
しかし、あくまでも「自分のため」という点を忘れてはならない。
承認欲求に流されてはならない。
そうだな。
目標地点としては。
誰もいない部屋で女装をし。
自撮りをし。
後でそれを自分一人で眺める。
スマホいっぱいに私の女装姿が溜まるととてもいい。
そういったところだろうか。
これもナルシシズムの一種なのかな、とふと思った。
まず、妻に相談してみよう。
化粧はどうするのか。
服装はどうするのか。
そして、ひっそりと一人で女装をしてみよう。
自分の新しい趣味に、ふふ、と笑みを浮かべる私だった。
いや、過去形ではない。
好きである、と現在進行系で言わなければならないか。
特に、女性的な柔らかい可愛さが好きだ。
見ていて何とも言えない暖かな気持ちになる。
それが、「自分も可愛くなりたい」と思うまでには時間がかかった。
私はもう世間から立派なおじさんと呼ばれる歳である。
が、ここにきて、急に可愛くなりたい欲が湧いてきた。
何故だろう。
おそらく、SNSの普及で「可愛い」がより身近になったからか。
普段の生活でSNSは切り離せない。
そんな中で、日々溢れかえる「可愛い」。
それらが私を刺激したに違いない。
ちなみに、セクシャリティとしてはノーマル・・・所謂ストレートである。
別段自分の性別に疑問を持ったりしていないし、恋愛対象は女性だ。
それでも、「可愛い」には憧れる。
微笑ましく、同時に生命力の強さまで感じる程だ。
そう、私は可愛くなりたい。
結果、「女装してみたい」である。
化粧して、着飾って、女性のように振る舞ってみたい。
おじさんとしては中性的で比較的「可愛い」に近い容姿の私である。
化ける可能性はあると見ている。
そういえば学生時代に意味もなく髪を伸ばし結んでいたこともあった。
あれは、もう少し手を入れればなかなかだったのではないだろうか。
ともあれ、女装である。
ガチ勢の間では常識的なことも、私は全く知らない。
ズブの素人である。
何から始めればいいのか。
まず、化粧の仕方だろうか。
そういうことは妻に聞いてみてもいいかも知れない。
何でも話せる妻である。
笑って教えてくれるだろう。
画像加工アプリを使うことも考えた。
今は多種多様な加工アプリがあるという。
それらを用いれば、比較的容易に女装できるのではないか。
しかし、それは何だか違うように感じた。
アプリを通した虚構のような。
それより、実際の自分の方を加工し、女性に近づける道が正道と思った。
服装はどうしようか。
こちらはさすがに妻のものを借りるわけにはいかない。
サイズが違いすぎる。
しかし「可愛い」を求めるには避けて通れぬ道だと思う。
こういう時、ネット通販の強さと弱さを思い知る。
誰にも知られずに買うことができる、という強み。
試着ができない、という弱み。
もどかしい。
都会には女装専門の服屋もあるらしい。
女装専門?
何だか異世界の話のようだ。
それで利益が出るのだろうか。
・・・出るのだろうな。
存外、広い世界である。
まあ、ここはネットショッピングで少しずつ買っていくしかない。
現段階ではそれが精一杯だ。
と、ここまで具体的に考えて、根本的な問題に突き当たる。
私は――女装姿を誰かに見せたいのであろうか。
例えば妻である。
女装した姿を見せて、「可愛い」と言って欲しいのだろうか。
或いは。
SNSに溢れかえる「可愛い」の中に、自分の写真を投げ込みたいのだろうか。
何だか分からなくなってきた。
私は可愛いものが好きだ。
その概念が好きだ。
だからそれと一体となりたいと考えるのは、自然だと思う。
だが、その姿を誰かに認めてもらいたいというのはまた違う。
承認欲求というのだろうか。
それと女装を結びつけるのは、何だか違和感がある。
あくまで、私は、私のために、女装をしたいのだ。
その過程で、妻やお店など、様々な人の手を借りるだろう。
しかし、それらの人々のために女装するわけではない。
認められるために女装するわけではない。
私が、「可愛い」の一部となる喜びのために女装したいのだ。
自分だけの、密やかな楽しみ。
そういう趣味があってもいいじゃないか。
別に隠そうというわけではない。
もちろん無駄にオープンにするつもりもないが。
それこそ、妻には最初に相談しようと思っている。
しかし、あくまでも「自分のため」という点を忘れてはならない。
承認欲求に流されてはならない。
そうだな。
目標地点としては。
誰もいない部屋で女装をし。
自撮りをし。
後でそれを自分一人で眺める。
スマホいっぱいに私の女装姿が溜まるととてもいい。
そういったところだろうか。
これもナルシシズムの一種なのかな、とふと思った。
まず、妻に相談してみよう。
化粧はどうするのか。
服装はどうするのか。
そして、ひっそりと一人で女装をしてみよう。
自分の新しい趣味に、ふふ、と笑みを浮かべる私だった。