以蔵の徒然日記

お気楽以蔵の気ままな生活

西湖ロードレースだよ~ん!

2011-06-26 09:52:14 | キャンプ

6月19日(日)は西湖ロードレース

この日ばかりは、いつもののんびり気分の「キャンピンGu~」と

いうわけにはいかない

18日(土)、いつものアジト「キャンプWAN」へGO~

でも富士吉田に着いた時にはもうが降っていた

キャンプWANに着くと今日の宿泊は僕たちだけ・・・ 貸切状態だとぉ

管理人さん曰く、この時期のキャンプ場は非常にさびしいと・・・

チチとハハは体力温存をはかり、ログキャビンに一泊

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荷物を宿に入れるともう出場登録の16:00

イベント会場へGO~ GO~

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ぼちぼち人が集まってきてゼッケンをもらったチチとハハは

若干緊張気味の様子であった

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今日は体調を整えるため、早く食事をしても控えめ・・・

早く寝るんだってサ~つまんない

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ここに来たからには雨でも少しは散歩っポをしてくっさい!

食後のお約束であるチチとハハのDVD鑑賞・・・

僕は、はっきり言って不貞寝をしていた

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DVDを見終わった後は即 就寝

ロードレース当日は4:30に起きて食事を済ませ

6:00にはスタート近くの駐車場へGO

いつものベストポジションに着けたとさ

僕は宿で寂しさも忘れ夢の中 チチ、ハハがんばれ~

天気はでマラソン日和~

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9:10スタート

今年は有名な招待選手はいなかったみたい

毎年10.7キロの部に参加していた80歳を過ぎているらしいご婦人は

今年は4キロに参加・・・ それにしてもすごい!

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足を痛めていたハハも無事完走してホッとした様子

ゴールのイベント会場はそれなりに賑わっていたとか・・・ 

僕はゴール後にもらえる“1本”だけは忘れないように祈っていた

だって僕がお留守番のご褒美に戴くんだもん

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宿に戻ってきた早々 疲れきったチチとハハを引っ張り回し

貸切状態のキャンプWAN内を散歩しまくった

おかげさまで他のものには邪魔されず一匹ウン・・・

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さぁ~帰るぞ

Jpeg  以蔵

 

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澄み渡る空?

2011-06-05 17:59:25 | 歴史

6月4日 (1865 慶応元年5/11)は岡田以蔵の命日です。

そうです。 僕の名前はここから生まれたのです。

人斬り以蔵にちなんで「人噛み以蔵」とは僕のことです。

今回は、岡田以蔵の話を少しさせて下さいまし。

岡田以蔵は土佐に生まれ、龍馬さんの2歳年下になります。

が嫌いな武市さんに誘われて

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    武市半平太

「あっ土佐!勤王党」に入りましたが名簿には載っていません。 Why?

その後、武市さんに頼まれて京都で天誅三昧・・・闇討ちだね!

そんな物騒な時、龍馬さんは神戸海軍操練所ができる前に

1863 3月(文久3年)

岡田以蔵を勝先生の護衛につけたんだねぇ・・・

龍馬さんは武市さんと考えが違ったから

以蔵を心配して、武市さんから離したかったのかもしれない・・・

ジョン万次郎さんの護衛も勝先生に頼まれたりしたり ラジバンダリ・・・

1863 9月(文久3年8月18日)

八月十八日の政変 以降は土佐勤王党も失速し

1864 6月頃 京都で捕まっちゃったんだもんねぇ~ 

勤王党メンバーは皆んな厳しい拷問にあったけど武市さんだけは

大丈夫だったみたい・・・

岡田以蔵の辞世の句に

「君が為 尽くす心は水の泡 消えにし後ぞ (は)澄み渡るべき (空)」

とあるが、君とは誰のことだろう?

天皇? 龍馬さん? 武チィ~?・・・

大政奉還・王政復古の大号令まであと2年のこと

今の時代のごたごたにも似てるような・・・

岡田以蔵の純粋孤独で寂しげなイメージが今の人の心にも

共感を得るものがあるのかもしれないなぁ。

岡田以蔵の墓は高知にありますが、今でも多くの人が

献花に訪れるそうです。

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僕は現在のあきれたごたごたをよそに

違いが分かりづらい新しいお布団にすっぽり入り、

スイカを食べる夢を見るのです。

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はっきり言って眠いっす。

Jpeg 以蔵

 

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横浜開港記念日ですが・・・

2011-06-05 17:52:14 | 歴史

6月2日は横浜開港記念日でした。 今回はこんな話で・・・

安政6年 6月2日のことですが、新暦で言う1859年 7月1日に開港し

現在の横浜税関近くに東西2つの波止場をつくりました。

それがあの「象の鼻防波堤」のあたりだと思います。

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     「象の鼻」今                     「象の鼻」昔

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      横浜港の開港 上陸風景

山下公園とみなとみらい地区に挟まれた「大桟橋」のところが

まさに日本の開港、幕開けの地になるんです。

大桟橋の入口には横浜開港資料館(旧イギリス領事館)があり

ここで、日米和親条約が結ばれたんよぉ~ん

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横浜税関から写した明治の居留地の写真だが、この辺りかなぁ?

僕のお決まりの散歩コース 

行きは山下公園から大桟橋を超えて赤レンガ倉庫

帰りは横浜税関から廻ってホテルニューグランド経由

(山側の方が直射日光にあたらない 僕には一番!) 

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明治時代のホテルニューグランド前海岸通り

 

ちなみに山下公園は大正12年の関東大震災の復興のため

多くの瓦礫を埋めてつくった日本初の臨海公園でっせ。

緒方先生に習った福沢のユキッチャンが開港当時の様子を見て

「せっかく死に物狂いでオランダ語を勉強したのに、看板の英語の文字が

なーんも読めん・・・」と嘆いたそうなぁ

余談ですが、「横浜3塔物語」を知っていますか?

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   神奈川県庁(キング)                  横浜税関(クイーン)

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   横浜市開港記念会館(ジャック)

この3塔は外国人の船乗りたちがトランプカードになぞってつけた名前。

外国人が出入国の際、海から目立ったのが3塔で、

長い旅の無事を願い、また感謝したのかもしれない・・・

そして、この3塔を眺めると願いがかなうと言う都市伝説がある。

「外国の船乗りが航海安全の願掛けた」という説と、

「3塔が震災などの試練を乗り越えてきたことから、カップルが困難を

乗り越えて結ばれる」という説があるけど 誰が考えたことやら・・・

あくまでも都市伝説である。

梅雨の時期の開港祭は、なかなか盛り上がらないんだよねぇ

しかも平日だし・・・

僕は台風の影響でなかなか散歩ッポができません。

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完全に別の世界に行ってます。

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