4月14日(月) /
幕末の風雲児、異端児とも呼ばれているこの人は
知る人ぞ知る 高杉晋作
そして今日は高杉さんの命日なんです
去年もこんなこと書いたが 今回もまたまたこんな感じで・・・
高杉晋作
どうですかぁ この凛とした構え
どことなくサッカーの本田圭佑に似た 気丈な感じィ
時は幕末 激動のさ中
あの「松下村塾」の吉田松陰先生に教えを受けているから ハンパない
1859年には安政の大獄で 捕らわれの身となっている
獄中の吉田松陰先生の世話をするほど慕っていた
尊皇攘夷運動を展開し、1863年1月には
幕府に抗議するため「イギリス公使館焼き打ち事件」をおこしている
同年5月には徳川家茂さんが朝廷の要望で攘夷を約束してしまったが
長州藩は関門海峡を通る外国船を砲撃し、
イギリス・アメリカ・オランダ・フランスの攻撃を受け下関を占拠されてしまった
その頃の高杉さんは頭をまるめ、寺に出家していた
高杉さんは前に上海に行っていたので 外国の事情がわかっていたから
攘夷に逸る長州藩にもどかしく思い
討幕を訴えるが聞き入れてもらえず 出て行ってしまったんだねぇ
しかし長州藩はこの男を呼び戻し
高杉さんはなんと奇想天外な発想で、身分を問わない軍隊
「奇兵隊」を組織することを提案 実行した
1864年7月の池田屋事件や同年8月の「禁門の変」で
長州藩は朝敵となり ここぞとばかりに外国にも攻めやられ
長州藩VS幕府・アメリカ・イギリス・フランス・オランダという
藩の存続も危うい 大変なことになってしまった
この時期に高杉さんは脱藩している
が・・・再び長州藩はこの男を必要とした
脱藩の罪で幽閉中の高杉さんを呼び戻し
4カ国連合艦隊との講和使節団の全権をまかせ交渉にあてた
そして幕府の長州征伐が迫る中
恭順派が大多数をしめる藩内に対し 再びこの男は立ち上がる
そして幼馴染の伊藤博文らと協力し 功山寺に挙兵
右に伊藤
敵とそうとうの大差があるにもかかわらず その時の言葉が
「これよりは長州男児の腕前 お目に懸け申すべく」と勇ましく
幕府軍との戦争では見事勝利をおさめ 藩を倒幕へと導いた
その後は戦いの途中 日本の夜明けを見ずに
慶応3年 1867年4月14日に肺結核で この世を去って行った
おそらく 高杉さんは頭をまるめてから まげを結っていないだろう
こんな勝気な高杉さんが残した詩
「おもしろき ことのなき世を おもしろく ・・・」
破天荒な高杉さんが残すにふさわしい 詩ではないだろうか
現代に無い
太く 短く 大きく生きた男ではないだろうか・・・
ちなみに高杉さんは 長崎でかなり豪遊したそうなぁ
ゴールデンウィークは山形天童でやってしまおうかなぁ