10月27日(土)
チチとハハにとっては久しぶりの会津
猪苗代湖近くにある 第3のアジトなんよ
僕は初めてだけどねぇ
窓から見える 向こうには猪苗代湖が
お家の外にはコスモスの花がいっぱいでして
しかも人生の影響を受けたという
母「シカ」と恩師の小林先生の顔まで・・・
野口英世という人物 かなりの破天荒者だったとか ムムムゥ~
まずは会津若松へ GO~
ここが有名な大内宿
タイムスリップしたようだねぇ
そしていつもの昼食タイム
チチはネギを食べ過ぎて気持ち悪くなったようだ
僕のそば団子はまあまあだったけどねぇ
大内宿の中はこんな感じでして
チチはゴム鉄砲に かなり関心があったようだ
とにかく賑わっていたよ
ここは見たり食べたりと のんびりできる所でっせぇ
最後にチチはお気に入りの箸をGET
次なるは「若松城」 別名「鶴ヶ城」へ
やはり最後の城主は松平の容保くん
ここは晩翠ちゃんが書いた「荒城の月」の城
~ 昔の光 今いずこ ・・・ by 土井晩翠
そして城の廻りや町中にはこんなのぼりの広告が・・・
何とぉ 来年の大河ドラマは「八重の桜」という
幕末を舞台にした「ハンサムウーマン 新島八重」を描いたドラマ
しかも主人公の新島八重はあの「綾瀬はるか」だというではないですかぁ
これは知らなんだ 知らなんだぁ いいこと見ぃっけぇ
来年の会津は熱くなるぞぉ~
チチとハハはそんなことを考えながら 新撰組記念館へ
有料の館内資料室にはまったく目もくれず
土方歳三のミニ羽織やら幕末手帳を購入
さらに 龍馬さんと岡田以蔵っちぃ のフィギュアをGET!
途中 清水屋旅館跡を発見 現在は大東銀行
ここは吉田松陰先生が22歳の時 会津に来た時に泊まったところ
松陰先生は会津藩校である日新館にはそうとう関心があったようで
5年後の1857年には高杉くんや久坂玄瑞くん、桂くんや伊藤(旧千円)くんなど
幕末の有名な志士たちを数多く生み出した「松下村塾」を開塾している
そして土方歳三は宇都宮城の戦いによる足の負傷でここに運ばれ
治療を受けている
さらに新島八重は明治になってから姪の峰夫婦と一緒に会津に帰省し
ここに一ヶ月ほど泊まっていたという
どんな思いで会津に帰ってきたのだろう・・・
新島 八重
新島八重(旧姓 山口 八重)と言う女性
会津戦争では断髪して官軍と鉄砲で応戦
同志社大学創設者 新島 襄の妻としても有名
悪妻とも言われたが 夫の襄は八重をハンサムな人と絶賛
興奮もさめやらぬまま飯盛山へ GO~
往きは急な坂なのでチチに抱っこしてもらいながら
エスカレーターで ヴゥ~
ここから白虎隊の隊士たちは鶴ヶ城を見たのだろう
他にもこんな慰霊碑が
郡上凌霜隊(岐阜県) 会津洵難烈婦の碑
特に郡上藩凌霜隊においては これまた少年兵
密かに江戸にいる郡上藩士を藩命で脱藩させ会津藩を援護したが
藩は官軍になびいて生き残りをはかった
宇都宮城の戦いでは新撰組 土方歳三らと一緒に戦っている
しかし鶴ヶ城落城後は家族のいる江戸に戻さず、郡上藩内に幽閉
藩意にそむいた脱藩者として扱った
それは無いだろう・・・ くぅ~
そしてここが白虎隊士19名が眠る墓
本来は20名だがその内 飯沼貞吉だけがかろうじて助けられ
その後の彼の証言で白虎隊の様子もわかったという
彼は皆と少し離れた所に眠っている
坂を下るとこんな建物が
さざえ堂 さざえ堂正門
ここを通って白虎隊が飯盛山にたどり着いたという洞穴
戸ノ口堰洞穴
この時期じゃ そうとう寒かったんじゃない?
そうなんです 自決した日が1868年10月8日
天皇の詔書が出され元号が明治に変わる16日前のこと ガックリだぁ
最後は白虎隊記念館 僕は中に入れなかったけどねぇ~
愛犬クマに負けじと ビシッ!
今日の収獲も大きかったと チチとハハはご機嫌
だって以蔵の資料は何もないのにぃ フィギュアはあるとねぇ
僕は完全にぐっすりですわぁ~
明日は喜多方でラーメン三昧だぁ
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