岩倉高等学校 放送部

東京都台東区上野にある岩倉高等学校・放送部のブログです(創部1958年)

依頼心を考えてみた

2017年08月20日 | その他

先日の金曜日は、進めていたオープニングムービーの撮影が天候が悪いということで中止になり、部活動オフになりました。今のところ、進み具合も、さらに内容についてもほぼ口出ししていないので、今後どのように進んでいくのか正直想像ができません。

もしも、誰かがやっていて自然と進んでいくのだろうといったムードになるのなら、他の誰かの出番になるんだろうなと思っています。きっと依頼心なく真正面から破っていく部員が解決していくはずです。

さて、部員が誰もいない時でないと、部室内をなかなか整理をすることがないので、少々やりました。


今年のNコンのテレビドラマを制作する過程で、部員が次々に書き込んでいった模造紙はボロボロになっていたので、暫し眺めてその後整理。そして、上の写真は「おもい」の絵コンテ。結構な枚数のものです。掃除する時にありがちな、色々見てしまって捨てられないという時間が過ぎていきます。

カタチに残るものがすべてではありませんが、少なくともあるということは何かしらのもがきの足跡があるということです。作品制作データだけではなく、アナ朗の原稿も行事企画の立案メモも、さらには何かを決める時に摩擦を起こした言葉の記憶でさえも、すべてカタチと言えます。

なかなか主軸になれていないなと感じる部員が、どうせ自分にはこれだというものもないしといった感情に支配されて、カタチに残すことを放棄してしまうことがあります。結局そんな彼らに共通していることは、常に漂う依頼心です。誰かがやってくれて、それに自分も調子よく乗っていこうとするようなものです。

この手のものは、実に寂しいです。皆の成果が出ても、心の底から喜ぶことができません。どこか冷めています。そして、悲しいことにそれを何故か僻(ひが)みます。


今日、とあるところ(まあ想像つく部員だらけでしょうが)で練習試合を眺めておりました。


控え選手が中心の練習試合には、年齢差15歳くらいありそうなプロ選手が入り混じり、ぶつかり合っていました。そんな環境の中で、自分の生き場所をカタチにするために、自分を主張するプレーをする。それができなければ、やがて場所はなくなるという世界です。

よりよく生きるためには、よりよく考え動く。自分で判断し、自分で前進する。その風景には依頼心といった言葉は皆無でした。放送部とは違いすぎると考える人もいるでしょうが、まったく遠いものだとは思っていません。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする