このお寺「常照皇寺」の正式な寺名は「大雄山万寿常照皇禅寺」で「臨済宗天龍寺派」に属するお寺です。また別には、「天台系」の「成就寺」という廃寺を再興したという説もあります。
「志納」をお支払い(入山料?)して参拝します。広い方丈のお部屋です。
開創、北朝の「光厳天皇」は第93代「後伏見天皇」の皇子で、元弘の乱(後醍醐天皇が鎌倉幕府転覆の企て)の後、皇位につきますが、形勢は逆転、建武の中興で廃位させられます。しかし、「後醍醐天皇」の新政は二年半で崩壊して、のちに、南北朝時代が訪れます。
「光厳天皇」は弟の北朝第2代「光明天皇」の時代に院政として復活しますが、その後、「足利氏」の内紛により南朝が優勢になり、再び幽閉の身になります。
庭の向こうに見えるのは「勅使門」です。
いかにも禅寺の庭という感じがします。
前記の「光厳帝」は、「夢窓疎石」を崇拝して「禅宗」に帰依しました。河内天野の金剛寺から晩年は伏見に隠棲し、その後、この地に草庵を結んで、すべての世俗からのがれ禅の道を深めました。
方丈の、天井hからもこのような「仏像」が安置されています。
やはり、禅寺の雰囲気は独特のもので、庭も心洗われる気持ちです。
このお庭お眺めながら、このお寺の「開山堂」に向かいます。
右京区京北井戸丸山町14
(たわごと) 20数年前に長期、ベトナム出張に行った、思出-8
前記で少し書きましたが、宝くじの事。田舎の町でお酒を飲んでいると、6歳位の女の子が何か買ってくれて。よくよく通訳してもらうと「宝くじ」です。一枚5000ドンです。これが当ると何百倍になるって。買いましたよ。その後、この女の子が「宝くじ」の番号の控えを何処か持って行きました。10分位後、女の子か、ニコニコして言いました。「当って無いよ」て、なんのこっちゃ、初めから、この「宝くじ」は空くじ?ふーん、ベトナムの「宝くじ」てこんなもんかいな、別に腹は立ちませんでした。けなげな女の子このアルバイトです。
あるお土産屋の不思議なこと、なんと「伊藤博文」の千円札が、75000ドン位で売っていました。確認しました、透かしも、本物です、日本円で750円位、千円札がですよ。当然有るだけ買って帰りました。日本では、当然1000円で通用、もうけ、もうけ。
帰りの、ホーチミン空港の免税店での事。ウイスキーを買いました。良く見るとお釣りがかなり足りません。こちらは日本語であちらはベトナム語で押し問答。結果、私の言い分が通り、ちゃんと返してもらいました(社会主義国の公務員てこんなものです)
空港内のレストランでの事。ウエイトレスを呼ぶと、両手をポケットに入れて、こちらにだらだらと来ます、商売気は全くなしです。考えられないです、客商売なのにあの態度(社会主義国の公務員てこんなものです)
悪口ばかり書いていますが、良いとこは一杯有りますが、記憶に鮮明な事を、たわごと、として羅列しました。
しかし、アオザイを着た店員は綺麗でした。次は、最終回です。
ベトナム螺鈿細工の額。
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