このお寺の通称は「椿寺」本当の寺名は「地蔵院」といいます。
「椿寺」というのは、このお寺の書院前庭にある五色八重の「散椿」に由来するからです。
「文禄の役」で朝鮮に出兵した「加藤清正」は、朝鮮蔚山城(うるさんじょう)から椿を持ち帰り、「豊臣秀吉」に献上しました。その椿を「秀吉」は「北野大茶湯」のとき、この「地蔵院」に寄進したという事です。
このお寺の山号は「昆陽山」(こやさん)といい、それは「地蔵堂」に安置する「地蔵菩薩像」が摂津国の「昆陽寺」から移されたことによります。その地に「行基」が第45代「聖武天皇」の勅願によって神亀3年(726年)に建立した「地蔵院」がはじまりと寺伝にあります。
京では、当初、衣笠山麓に有りましたが、焼失し、後に「足利義満」が「金閣寺」建立の余材で再建、さらに天正17年(1589年(に「豊臣秀吉」の命で今の地に移りました。
寺領は狭いですが、「十一面観音菩薩」でも有名です。
北区大将軍川端町2
(たわごと)
今日は、「終戦記念日」です、今の日本の繁栄の礎になられて亡くなられた多くの御魂に哀悼の気持ちを、謹んで表します。(合掌)
私の、伯父も満州で戦死しました。卑怯にも国際法(ハーグ陸戦条約)で禁じられている「ダムダム弾」(ホロ―ポイント・鉛の弾頭に鋼板の加工がされていず、身体に命中すると貫通せずに、体内で内臓もろとも破壊する非常に無残な弾丸)で戦死しました。
はたして、今日の「終戦記念日」に「野田総理」は「靖国神社」に参拝するか?
また、もれ見よがしに、韓国の「李明博」の書いた石碑を我が国固有の「竹島」に無謀にも建てるか、これを日本国が放置しておいても構わないのか?日本は正々堂々と「国際司法裁判所」に提訴すると言うのに、韓国は後ろめたさに、テーブルにもつきません。初めから、負けるのが解かっているからです。日本の若者達がこの事に、関心を持たない教育方針が完全に間違っていた事の情けなさ。
昨日の「李明博」の無礼な発言、史上最悪の者となる事なしです。支持率が17%迄下落しての発言。今まではいさめる側近がいましたが。日韓関係が悪くなって、得する物は何も無です。そんな簡単な事が解からない、狂った「李明博」、任期が終われば、死刑か?
正しい歴史認識を持たなければ、他国になめられることになります。
私も、お墓参りに行ってきました。
このお寺のお地蔵さんの顔、美しいです。