今年は日本史にその名を残す戦国大名、毛利元就の没後450年。元就公といえば“三本の矢”で、死の間際に息子3人を枕元に呼び、結束の力を説いた逸話で知られる。親子の信頼関係あってこそ成り立つ物語だが、その末裔の場合、息子が親の恥ずべき不行状を告発するという異常事態に……。
9/13/2021
民間企業と同じく外務省職員の朝も、メールチェックというお定まりの所作で始まる。が、8月23日、その一通を開いた職員は驚愕して椅子から転げ落ちた。 そこには、こうあった。
〈突然失礼いたします。僕は、オーストラリアの大使館に異動になった毛利忠敦の息子です〉
毛利忠敦(ただあつ)氏が8月1日付でオーストラリア公使になっているのは事実で、 〈
父の関係者の方々に送らせていただいています。非常識なことをして申し訳ありません。僕は、皆さまに知っていただきたいことがあります。父は2018年6月に、部下の女性からセクハラで告発されて、停職9か月という処分を受けました。しかし事件後も父は反省どころか、僕たち家族の気持ちを踏みにじる行為を続けました〉
職員の脳裏には、3年前のあのニュースがよぎった。
外務省ロシア課長がセクハラで停職9カ月に――。
当時を知る外務省関係者が振り返るには、 「毛利氏は、中国地方に覇を唱えた戦国時代の大名・毛利元就の血を引く毛並みのよさと、ロシア語が専門の“ロシアンスクール”内での優秀さとで“エース”と一目置かれる存在でした。ロシア課長時代も北方領土返還交渉の実務を担うなど枢要な仕事を任されていたのですが、同僚の女性へのセクハラで処分され、出世コースを外れたのです」
9カ月の停職が明けた毛利氏は、東欧ベラルーシの公使に異動。そして先ごろ、オーストラリア公使を拝命した。日本と友好関係にある大国への赴任は悪くない話のはず。なのに、なぜこんなメールが?
答えは、そこに添付されていたワードファイルにあった。1部と2部に分かれた文書でA4判じつに18ページに及ぶ。書き出しは以下のような文面だ。
〈2018年4月、当時中学2年だった僕は、夕飯中に父から「子供部屋が散らかっているから片付けなさい」と注意されました。僕は「食事が済んだら片付ける」と言って食事を続けていました。数分後、父は豹変して僕の所に戻って来て激高しました。まだ食事中の僕は、父にいきなり椅子から引きずり降ろされて、何度もひっぱたかれ、床に投げ倒され、馬乗りで首を絞められました〉
〈父が豹変した理由はわかりまん(ママ)が、父は激高しやすい性格です。その時僕はこのまま父に殺されると思いました。父は、家で長年DVを繰り返して来ていて、母は妊娠中にも暴力を振るわれたそうです〉
なんと妻にも暴力を……。
隠蔽工作
このメールの送り主である「僕」は、記された名前などから都内の名門私立高校に通う毛利氏の次男と判明している。看過できないのは、外務省の隠蔽工作にも告発が及ぶことだ。
18年7月、セクハラ事件を起こした父親に次男は我慢ならず、警視庁高輪署に自らが受けた、先の文面にあるDVについて被害届を出す。ところが同年10月、
〈セクハラ事件に加えて児童虐待事件を起こしていたことが公になると、懲戒解雇になってしまうから、外務省の人事課長の有馬さんが被害届を取り下げるようにと母に言ってきました〉
つまり、外務省が家庭内暴力の件を握り潰そうとした、という話。
〈僕は納得できませんでしたが、父が、このままだと首になって再就職も出来なくなって、生活が出来なくなると大騒ぎして、母に不安をあおってきて、母から「自分たちの為だ」と説得されたので、仕方なく従いました〉
事情を知る関係者が補足して言う。
「毛利氏は停職期間中、実家のある山口県防府市で表面上“蟄居(ちっきょ)生活”をしていました。まぁ、蟄居といっても県内や近隣県を旅行したりして、息抜きはしていたようです。そこへ突然、息子さんが警視庁に被害届を出したと本省から知らされて大慌て。急いで上京したはいいものの、家族はまともに相手をしてくれる様子もありません。なので人事課長の有馬裕氏(現・総合外交政策局参事官)に頼みこみ、無理やり夫婦の話し合いの場に同席してもらったと聞きます。有馬氏も毛利氏とは同期で断り切れなかったようです」
おかげで被害届は取り下げられるも、途端に毛利氏の態度は一変した。
〈2018年11月1日に僕が仕方なく被害届を取り下げると、父は掌を返し、家族に対する逆襲が始まりました。僕と母が父を裏切ったというのです。狂っているとしか思えません。父は、母に無断で、母のクレジットカードを止め、銀行のカードを解約し、十分な生活費も渡さず、貧困生活を強いて来ました〉
まったく無茶苦茶なのである。血筋も身分も卑しからざるエリート外交官は、同僚の女性職員に手を出し、家庭内ではDVとモラハラに明け暮れ、ついには息子を父の職場への直訴に駆り立ててしまったワケだ。
外務省は取材に対し、期限までに確たる回答はせず、毛利氏の妻に聞くと、消え入りそうな声で、
「お話しできることは……ありません」
衝撃の告発文はこう結ぶ。 〈父は、家族を踏み台にして復職しました。父が社会的制裁を受けたことで、実質的な罰を受けたのは僕たち家族でした。しわ寄せはすべて家族に来て、痛みは家族がかぶりました。(中略)父には辞職という形でけじめを取ってもらうしかありません。(中略)父には外交官である前に、まず人として真っ当になってもらいたいです〉
まだ高校生の息子にここまで言わせてしまうとは。しかし、父親の帰国で家族の安寧が破られるとしたら、これ以上の皮肉はあるまい。
「週刊新潮」2021年9月9日号 掲載