答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

土木の魅力(のひとつ)

2017年10月04日 | 土木の仕事

『「土木は馬鹿の仕事?」建設業を知らない人ほど「3K」と言いたがる!』というタイトルを目にして、初っ端の10行余りを読み、「ああ、やっぱりネ」とあとは斜め読み。「ちがうんだよナ」と独りごちる。

 

まず「土木は学歴のない馬鹿のやる仕事」という勝手なイメージを捨てていただきたい。もちろん、全ての方がそう思っているわけではないのは分かっているのですが、実際に土木業界に携わっていると、悲しいことにそういった心無い言葉を耳にする機会があるのは事実です。

(略)

「土木=馬鹿」というのは全く逆で、馬鹿に土木は出来ません。土木業界には東大や京大出身者もいます。ただ単純に作業をこなすだけなら、確かに誰でも出来ます。しかし、土木の仕事は毎日、目まぐるしく現場が変わり、頭を相当捻らないといけないような現場が数多くあります。

https://sekokan-navi.jp/magazine/9414 より)

 

 Webで発信された文章が気に入らないからといって、一つひとつ取り上げていけばキリがないし、それはわたしの流儀でもない。論理的欠陥など誰しもある。だいいち、そんなことで揚げ足をとられた日には、こんなブログなど書けはしない。だが、なんだか不快なものが喉に引っかかったまま取れない。で、わたしの考えを記しておくことにした。


 まず、「土木は学歴のない馬鹿のやる仕事」という表現。もちろん、記事の主さんが「ではない」と主張したいのは理解できるが、わたしに言わせれば「学歴のない馬鹿」とした時点でアウト。当たり前のことながら「学歴のない」と「馬鹿」はセットではない。なんとなれば、「学歴のある馬鹿」も「学歴のない利口」も世の中にはゴマンといるし、同様に「学歴のある利口」も「学歴のない馬鹿」も存在する。そして、こと「土木という仕事」をするにおいては、「東大や京大出身者」という肩書は「中卒や高校中退のオジさん」より利口だという保証書とはならない。「東大や京大出身者」もいるぐらいだから「学歴のない馬鹿のやる仕事」ではないのだよ、という論旨からは「土木」の魅力は伝わらないし、それはチト筋が違うのではないか。「土木」を擁護する意味での表現なのだろうが、むしろ逆効果である。「学歴のない馬鹿のやる仕事」がいかにも悪いかのような物言いは、「学歴がないものでもできる」仕事や「馬鹿でもできる」仕事に対する侮辱でもあるからだ。言わずもがなのことながら(言わなければわからない)、「利口なものしかできない」仕事や「学歴があるものしかできない」仕事だけで世の中は成り立っているわけではない。さまざまな仕事にそれぞれの役割があり、貧乏人も金持ちも、阿呆も賢(かしこ)も、その場そのときの状況における重要度がほんの少し違ったりするだけで、そこに貴賤の差はない。「馬鹿ではできない」ことからその仕事の優位性を導き出すことはわからないでもないし、そういった考え方はもちろんアリだとは思うが、そのことをもって「土木」に価値を見出そうとするのはお門違いである。

 そんな文脈から考えてみれば、「土木という仕事」はじつにおもしろい。この仕事の大きな魅力のひとつは、よしんばちょっと知能が劣った人でも、超がつくほど賢い人でも、それぞれに異なった役割が与えられ、その役割をこなすそれぞれの存在がなければ「モノづくり」ができない、というところにある。頭に立つ技術者がエンジニアとしていかに優秀でも、一人ではなんにもできない。「土木という仕事」の成否を左右するのはチームの力だと言っても過言ではない。じつは土木技術者(施工屋)の特殊性もそこにある。施工における土木技術とは、狭義の技術だけを指すのではなく、広い意味でのマネジメント能力をも含んだものであり、だからこそこの仕事はおもしろく、そして辛い。たしかに、その存在価値を比べれば阿呆と賢(かしこ)では明らかに違うし、「替えがきくかきかないか」を考えれば個々の値打ちが違ってくるのも当然だ。しかし、だからといってそのことがそれぞれの構成員の役割を否定することにはならない。「単純に作業をこなすだけ」のように見えて、そしてたしかに、ときとして「単純に作業をこなすだけ」かもしれないが、作業員歴うん十年のベテランをあだやおろそかにしてはいけない。「土木という仕事」のうちのどんな職種であれ、「地球を相手」にして何十年も仕事をして来た人間に「智恵」がないわけはない。

 中島みゆきが「草原のペガサス」と表現し、あるいは「街角のヴィーナス」と呼んだのは、たぶんそんな人たちのことだとわたしは勝手に思っている。普通の暮らしを下支えするのが「土木」である。そして、「土木という仕事」を支えてきたのは、数多くの「草原のペガサス」や「街角のヴィーナス」たちだ。そのなかには、「馬鹿」もおり「賢(かしこ)」もおり、「学歴のない」人もいて「東大や京大出身者」もいて、それらの構成員みんなの総合力で普通の暮らしを下支えしてきたし、今もしている。

 それこそが「土木」の「土木」たる所以であり魅力だと、わたしは思う。

 

 

 

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