答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

『豆腐の如く』(斎藤茂太)を読む

2017年10月29日 | 読む(たまに)観る

 

豆腐の如く (だいわ文庫)
斎藤茂太
大和書房

 

豆腐ほど好く出来た漢(おとこ)はあるまい。彼は一見、仏頂面をしているけれども、決してカンカン頭の木念人ではなく、軟かさの点では申し分がない。

 

こんな文章から始まる荻原井泉水の随筆『豆腐』を読みながら、斎藤茂太さんが、「生き方としての柔軟性」や「自分らしさと個性」、「人間関係」について考察した本。

 

井泉水いわく、

又、豆腐ほど相手を嫌わぬ者はない。チリの鍋に入っては鯛と同座して恥じない。スキの鍋に入っては鶏と相交じって相和する。ノッペイ汁としては大根や芋と好き友人であり、更におでんに於いては蒟蒻や竹輪と強調を保つ。

 

対して、茂太さんいわく、


チリ鍋の中で鯛とケンカしたこともあるはずだ。スキの鍋で肉の脂っぽさに辟易することもあっただろう。ダイコンやイモ、コンニャクや竹輪に対し、その猥雑さや軽薄さ、俗物根性をバカにした言辞を吐かなかったと断言できるのか。

精神科医としての私は、そういう未熟な”漢”が、いかにして”好く出来た漢”になっていったかを知りたいと思う。(P.204)


結論として、茂太さんいわく、


結局、人生は演技であると言っていいかもしれない。

家庭なら家庭における自分の役割をきちんと理解し、ときには自分にウソをついてでも、その役割を上手に演じていくことが肝心なのだ。(P.208)

役割というオブラートで自分のエゴを包むことが、人として生きるうえでいかに大切なことであるかがわかるだろう。

おそらく豆腐も、このようにして”好く出来た漢”になったのではあるまいか。

タンパク質供給という、いわば大豆族の本能を、”豆腐”という衣装にくるみ、料理という晴れ舞台に立つ。たとえば、「寄せ鍋」という劇の中で、鯛の切り身やダイコンなどと一緒に煮られているうちに、しだいに自分に課せられた役割、使命を理解するようになっていったのだろう。(P.209)

自分の役割を巧みに演じ、演じきることを楽しめる人が、結局は”豆腐の如く”いい人生を送ることができる。(P.210)

 

書中、久保田万太郎が豆腐について詠んだ句が三つ。

そのなかのひとつが 、

 

もち古りし夫婦の箸や冷奴(久保田万太郎)

 

さてと、今宵は冷奴でもつつきながら古女房殿と一杯やるとするか。



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