答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

釈迦とデヴィッド・ボームをセットにしてみる

2017年10月25日 | ちょっと考えたこと

「釈迦の”第二の矢”」については何度か書いた。

 

第一の矢とは、身体で感じるということである。

第二の矢とは、執着する心である。

正しい教えを聞きそれを学ぶ事がない為に、 喜びを感じればそれに執着する心が生まれ、また、苦しさを感じれば怒りの心が生まれ、結果、煩悩に囚われてしまう。

だが、正しい教えを聞きそれを学ぶ人は、第一の矢を受けるが、第二の矢を受けることがないのである。

喜びを感じても、それに執着する心が生まれることがない。

また、苦しさを感じても、怒りの心が生まれないので、結果、煩悩に囚われ ることがないのである。

(『禅のこころ』文化放送、曹洞宗関東管区教化センター、より)


あい変わらずパワフルキーワードとして活用させてもらっている。

実際に脳や身体や心が感じる「第一の矢」という現実に執着して、怒りやイライラを引きずるのは、それに「執着する心」としての「第二の矢」のせいだと、「第二の矢、第二の矢、第二の矢」と心のなかで三度唱えればあ~ら不思議。「執着する心」はどこかに消え失せ、煩悩にとらわれることなく心穏やかに過ごせる。

な~んてふうに上手くいくほど、渡る世間は甘いもんではなく、そもそもわたしがそれほどデキた人間ではないが、少なくとも執着しようとする自分を見つめることで感情的にならずに済む(かもしれない)。という心の動きを期待して、「第二の矢、第二の矢、第二の矢」と心のなかで三度唱えてみる。

ほんのこの前、その目論見が見事に失敗したことがあった。「怒り」という感情に流され興奮してしまった自分を、くだんの呪文を唱えることでは上手くコントロールすることができなかったのである。

翌日、さてあのとき唱えるのは「第二の矢」でよかったのかと自問してみた。

そこで出てきたのが「想定を保留する」という、久しく忘れていたキーワードだった。


自分を怒らせるような想定を誰かから聞いた場合、あなたの自然な反応は、腹を立てるか興奮するか、またはもっと違った反撃をすることだろう。しかし、そうした行動を保留状態にすると考えてみよう。あなたは自分でも知らなかった想定に気づくかもしれない。逆に想定を示されたからこそ、自分にそうしたものがあったとわかったのだ。他にも想定があれば、明らかにしてもかまわない。だが、どれも保留しておいてじっくりと観察し、どんな意味があるかを考えよう。(『ダイアローグ』デヴィッド・ボーム、P.69~70)

 

ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ

デヴィッド・ボーム著

金井真弓訳

英治出版

 

これについても何度か書いたし、渡る世間の「よすが」としようとしたこともあったが、気がついてみるとこの言葉自体をすっかり失念していた。「ああ、ナンテコッタイ」である。

となれば、 

これからは、「第二の矢」と三回唱えたあとで「想定を保留せよ」と三回唱える。釈迦とデヴィッド・ボームのセットでいってみようと思っている。


第二の矢

第二の矢

第二の矢

想定を保留せよ

想定を保留せよ

想定を保留せよ

 

(考えてみれば、何度も何度も同じようなことを、何年にもわたって繰り返し書いております。われながら、まったくもって成長のないオヤジだと哀しく情けなくもなりますが、今後とも懲りずにごひいきを ^^;)




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