答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

ぼくの確証バイアス

2024年08月09日 | ちょっと考えたこと
県外に住む数人の方に「だいじょうぶか?」と心配するメッセージをいただいたきのうの地震ですが、会社がある奈半利町は震度1で津波もなし。地震の規模とここからの距離を考えれば、それぐらいで済んでいるのが不思議な感がありました。
そんなものですから、当方落ち着いています。宮崎で地震、とわかった直後、まずは情報を確認。震源が日向灘とわかると、少しばかり緊張が走ったのは、そこが静岡県沖からつづく南海トラフの延長部にあたり、巨大地震の想定震源域に含まれるからでした。
各地の震度を確認します。最大は日南市で震度6弱。それこそ震源域の端っこで起こった地震のようです。意外なことに高知の西南地方で最大は宿毛市の震度3、そのとなりである土佐清水市は震度1でしかありません。

この地震を受けて気象庁は、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表。ふだんと比べて巨大地震が発生する可能性が相対的に高まったと評価された場合にとるべき防災対応がわかりやすいよう、気象庁が「巨大地震警戒」や「巨大地震注意」といったキーワードをつけて発表する情報です。
その確率を理解しやすいように数字であらわしたものがないかと調べてみると、平常時では千回に1回である発生確率が、数百回に1回となると「巨大地震注意」になり、十数回に1回となると「巨大地震警戒」とされる、といったものがありました。しかし、いわゆる地震予知ではありません。

さらに得た情報では、日向灘周辺ではM7程度の地震が十数年から数十年に一度の短い間隔で発生しており、それによって地下にたまったひずみが解消されてきた面もあるとのこと、また、南海トラフ全域への影響は限定的であることなどもありました。


さて、ここからが本題です。
ふとぼくは、きのうから一貫してある自分自身の心理傾向に気づき、思わず吹き出しそうになりました。

まず、正常性バイアスです。
予期しない事態や危機的状況、あるいは期待しない事態に直面したとき、「自分には関係ない」とか「ありえない」「たいしたことはない」と思いこむ(思いこませる)のが正常性バイアスです。
今回の地震の報を受けたぼくは、まずはじめに、無意識のうちに「自分には関係ない(のではないか)」という前提を立てていました。震度1という体感がそれを後押ししていたのでしょうが、それが正常性バイアスであることはまちがいないでしょう。
次にしたことは、その前提の正しさを証明するための証拠集めです。

・県内各所の震度を見ると震源に近い場所でもけっこう小さい
・「臨時情報」は地震予知ではない(つまり地震が起こるという発表ではない)
・「巨大地震注意」が想定している巨大地震発生はコンマ数%の確率でしかない
・過去の例から日向灘沖地震が巨大地震に連動する可能性はかなり低い

などなど・・・
どの情報も正しければそれでよいではないか、と思われるかもしれませんが、ぼくはこれらをインプットすると同時に他の情報にも接しています。そして、それらのなかからチョイスしたのは、ぼくが正しそうと考えた情報なのですから、そこに何らのやましいところもありません。
ただそこには、「自分には関係ない」というバイアスにもとづいた前提を証明しようとする心理が左右していないとは言えません。いや、ここにはあきらかに、自分にとって都合のよい情報だけを意識的に集め、反証する情報をインプットしようとしない心理傾向、つまり確証バイアスがはたらいています。

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人間は一度意見を決めると(それが一般的に認められているものであろうと、自分自身が信じているものであろうと)、何事もその意見を支持するものとしてとらえる。たとえその向こうに数々の反証が存在していようとも、見て見ぬふりをして決して受け入れず、有害な固定観念によって、もとの解釈を神聖化しつづける。
批判的なものの見方を忘れると、自分が見つけたいものしか見つからない。自分がほしいものだけを探し、それを見つけて確証だととらえ、持論を脅かすものからは目をそむける。このやり方なら、誤った仮説にも都合のいい証拠をなんなく集めることができる。
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少々大げさかもしれませんが、フランシス・ベーコンが言ったという、そんな言葉を思い起こしてしまいました。

昨年2度にわたり、県土木部技術職員向けに〈失敗〉をテーマに講話を行いました。今年もまた予定されています。そこでぼくは、さまざまなバイアスを説明しながら、それが〈現場〉にどういう影響をおよぼすかについて、幾つかの失敗例を挙げながら、さもわかったような顔をして説いています。なかでも特に確証バイアスについては、何度かの手酷い失敗経験があるがゆえに、ぼくがもっとも力説したいものであり、たぶんそうしているにちがいないものです。

だからでしょう。ぼく自身が見事にそれにハマっていたのかもしれないと思い至ったときに、可笑しさを禁じ得なかったのは。
いやーむずかしいものです(もちろん、そんな自分は棚に上げてしゃべりますがね)。


コメント
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