答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

ついつい〈初老〉という語句に反応して書いてみた。

2024年08月01日 | ちょっと考えたこと

去る29日、パリオリンピック総合馬術団体で銅メダルを獲得した日本代表のメンバーが、チームの愛称を〈初老ジャパン〉と名づけて話題となりました。そもそも馬術という競技にさしたる興味もないぼくは、ふ~ん歳を取っているのだろうなと受け流し、その内容を確かめもしなかったのですが、よくよく聞いてみるとメンバーのうち最年少は38歳で最年長は48歳、4名の平均が41.5歳だというではありませんか。

いやいや、いわゆるアラフォーではないか。それが初老などと・・・ではオレはなんなんだ?
思わずそう問い返したくなるほどに、今の40歳は若い。いくらなんでもそれはないだろうと思い、〈初老〉の定義を辞書で引いてみると、「古くは40歳の異称であり老人の域に入りかけた年頃」だとあります。たしかに、『論語』において孔子が、自らの人生を顧みて人間形成のプロセスを述べた言葉のなかで、40歳は不惑、つまり惑うことがなくなる年齢だとしてるのはあまりにも有名です。字義的に言えば、40歳をして〈初老〉とすることになんらの問題もありません。ただ・・・やはり、どうしても〈老〉という語句が引っかかります。


すると、ああそうか・・・と、かねてより違和感を抱いていたあることに思い当たりました。どうしても自分を〈おじさん〉扱いしたがる知人たちのことです。ひとりではありません。すぐに思いつくだけでも、ずらずらと出てきます。早い者であれば三十歳代中盤から〈おじさん〉となり、40にもなれば立派な〈年寄り〉を自称し、「もう自分らの時代ではない」とさえ言う彼らは、皆一様にデキる人たちです。たぶんそれも相まってがゆえでしょう。ぼくから見れば十分すぎるほど若い。さすがに四十歳代の男を指して若者とは呼びませんが、ぼくの内心ではそうしてもかまわないほどに、40歳近辺の彼らは若いのです(ちなみに、過去形も含んでいます)。

ところで、建設業という仕事において、ぼくが考える最強年代とは五十代、フィフティーズです。意識、知識、経験、(それらにもとづいた)勘や技術、体力のバランスが、もっともとれたのがその年代に当たるという意味で五十歳代です。たしかにそのうち体力は、齢が重なるのと反比例して衰えるものであり、そのころともなると、アチラコチラにガタが来はじめてもきます。しかし、それをもってすべてを評価するのは、アスリートでもないかぎりまちがいです。
世の中一般も業界の内に在る人たちも、建設業は体力勝負だと思いこんでいるようですが、それは思いちがいも甚だしいとぼくは言い切ってしまいます。建設業において重要なものは、意識や知識や経験や技術であり、体力はそれらを活かすためにあるものだというのがぼくの位置づけです。もちろん、頑強な身体があるに越したことはありません。そして、現場で動くだけの体力は必要です。しかし、フツーの五十歳代であればまだまださしたる問題はないはずです。

見方を換えれば、だから多くの建設企業で五十歳代が抵抗勢力として存在しているのです。変革を目論み、それを実行しようとする経営者にとって、この年代の存在(特に実績を残したそれ)はじつに厄介です。彼らには、自らの知識、経験、技術、勘に対する自信があります。何より経験工学である建設においては、知識も技術も勘も、経験に裏打ちされたものであるかないかが、とてつもなく重要となります。実績に対する自負があります。
もしかしたら給与には不満があったりするかもしれませんが、それも、若いころに比べるとそこそこにはあがっているはずです。ないのは体力だけです。しかしそれも、ないといってもぼくのような六十歳代も既に半ばをすぎてしまった人間と比較すれば、まだまだ十分なものがあるはずです。
これが、ぼくが建設業五十歳代最強説を唱える理由です。

ですから、二十も三十も四十も、そこへ至るまでの年代はおしなべて過程にすぎない。といっても、技術者にも技能者にも個人差があります。デキるデキないの価値判断として〈老若〉をもちだすのは、あきらかにまちがっています。いかに若年でも、デキるやつはデキる。その厳然たる事実を否定するわけにはいけません。そう考えてみると、たしかにぼくが思い当たった人たちのようにデキる人間は、老成をし易いのかもしれません。若くしてデキたがために、自らの位置づけが上になってしまう。それはむしろ、当然のことと言えます。
しかし、ここで勘違いしてほしくないのは、それでもなお先があるということです。さらなる成長や成熟が仕事人としての彼らのその先にはあるはずであれば、自ら進んで老いるなぞは、ぼくに言わせればチャンチャラおかしい言動だということになってしまいます。

といっても、今の若者にはピンとこないかもしれませんが、それは何も「人間五十年、下天の内をくらぶれば」という『敦盛』の一節を持ちださずとも、ぼくがまだ小学校低学年だったころのことを説明すればかんたんに理解できるはずです。あのころ、多くの会社は定年が55歳でした。還暦はまさに暦がひと回りするという意味で爺さんの象徴としてあり、盛大に祝賀したものです。そしてその年代の多くは既にリタイアした人、つまり老境に入った人でした。「古くより稀」な存在としてあった70歳ともなればなおさらです。であれば、それに対して40歳を初老と呼んでも何ら不思議はなかったはずです。

もちろん、昔も今も、個人差は厳然として在ります。そのなかにおいて、十把一絡げに年齢を論じるなどは愚の骨頂かもしれません。しかしぼくは、それを無視して言ってしまいます。
たかだかアラウンド・フォーティーごときが、たとえ冗談でも〈老〉を名乗るなと。四十歳代や五十歳代で「偶成」を気取るなと。なんとなれば、黙っていても秋風が吹いてきて、人生は終わりに近づいていくのですから。



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