アッサラーム アライクム。
皆さんに平安あれ。
ドクトール・ブーティー(ブーティー博士)の愛のメッセージに関連した預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のハディース(伝承)をご紹介いたします。
「リサーラ・クシャイリーヤ(クシャイリーの書簡)」では、イマーム・クシャイリーが伝え聞いた伝承として以下のハディースが伝えられています。
「アリー・ブン・アフマド・アル=アフワーズィー(アッラーのお慈悲あれ)が、アフマド・ブン・ウバイド・アル=バスリー、ヤフヤー・ブン・ムハンマド・アル=ジヤーニー、ウスマーン・ブン・アブドッラー・アル=クラシー、ヌアイム・ブン・サーリム、そして教友アナス・ブン・マーリクを通して私に伝えてくれたところによると、アッラーの御使いさま(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われたという。
『私の愛する人たちとは、いつ会えるのでしょう?』
そこでサハーバが、「誓ってお聞きしますが、我々はあなたの愛する人ではないのですか?」と尋ねると、彼はこうお答えになった。
『あなたたちは私の友です。私の愛する人たちとは、私を見ることなく、私を信じるようになった人たちのこと。私は彼らをこそより愛しいと思います。』」
متى ألقى أحبابي؟
فقال أصحابه بأبينا أنت وأمنا أولسنا أحبابك؟
فقال أنتم أصحابي أحبابي قوم لم يروني وآمنوا بي وأنا إليهم بالأشواق أكثر
もう一つは、イマーム・アフマド伝承の言い回しです。(イマーム・ムスリムのは、「タハーラ(浄化)の章」ハディース番号249-ハイル社版「イマーム・ナワウィーの『サヒーフ・ムスリム』解説」1/480参照-にありますが、タハーラに関することとして挙げられているだけに+αの言い回しがついているのでここでは割愛します)
イマーム・アフマドの「ムスナド(12601)」に出典されているというハディース(手元にムスナドは持ち合わせていないので、注解にあるものを借用します…ホントはこれは横着ですが…^_^;)では、次のような言い回しになっています。
「『私の兄弟に会えたらいいのですが…。』
そこでサハーバが尋ねました。
「我々はあなたの兄弟ではないのですか?」
『あなたたちは私の友です。
ところが私の兄弟とは、私を見ずして私を信じるようになった人たちのこと。』」
(「リサーラ・クシャイリーヤ」スフバ(同伴)の章、アブドゥルカリーム・アル=アター復刻、アブー・ハニーファ書院版p.448参照)
وددت أني لقيت إخواني
فقال أصحاب النبي صلى الله عليه وسلم أوليس نحن إخوانك؟
قال أنتم أصحابي ولكن إخواني الذين آمنوا بي ولم يروني
私が聞き親しんでいたものは、「イフワーニー(私の兄弟)」という言い回しのものでしたが、いずれにしても、このハディースは何度聞いても励まされ、勇気づけられます。と同時に、預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の愛に相応しい信徒に少しでも近づけるよう頑張らねば!と反省させられもします。
言葉ではどんな風に言っても物足りないくらいですが、
私たちがアッラーを愛する前に
アッラーが私たちを愛してくださっていて、
私たちが預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)を慕う前に
預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)が私たちを慕ってくださっている…
ありがたすぎるこの真実を思うだけで、心が洗われる気がします…何度でも、何度でも…
アルハムドゥリッラー(アッラーに讃えあれ)、
アルハムドゥリッラー、
アルハムドゥリッラー…
この恵みを私たちの代で終わらせては、ぜーったいなりませんよね。
ビイズニッラー、アッラーのお助けを乞いつつ、
なにがなんでも、次代へつないでゆかなければ…
改めてそう思います。
皆さんに平安あれ。
ドクトール・ブーティー(ブーティー博士)の愛のメッセージに関連した預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のハディース(伝承)をご紹介いたします。
「リサーラ・クシャイリーヤ(クシャイリーの書簡)」では、イマーム・クシャイリーが伝え聞いた伝承として以下のハディースが伝えられています。
「アリー・ブン・アフマド・アル=アフワーズィー(アッラーのお慈悲あれ)が、アフマド・ブン・ウバイド・アル=バスリー、ヤフヤー・ブン・ムハンマド・アル=ジヤーニー、ウスマーン・ブン・アブドッラー・アル=クラシー、ヌアイム・ブン・サーリム、そして教友アナス・ブン・マーリクを通して私に伝えてくれたところによると、アッラーの御使いさま(アッラーの祝福と平安あれ)は次のように言われたという。
『私の愛する人たちとは、いつ会えるのでしょう?』
そこでサハーバが、「誓ってお聞きしますが、我々はあなたの愛する人ではないのですか?」と尋ねると、彼はこうお答えになった。
『あなたたちは私の友です。私の愛する人たちとは、私を見ることなく、私を信じるようになった人たちのこと。私は彼らをこそより愛しいと思います。』」
متى ألقى أحبابي؟
فقال أصحابه بأبينا أنت وأمنا أولسنا أحبابك؟
فقال أنتم أصحابي أحبابي قوم لم يروني وآمنوا بي وأنا إليهم بالأشواق أكثر
もう一つは、イマーム・アフマド伝承の言い回しです。(イマーム・ムスリムのは、「タハーラ(浄化)の章」ハディース番号249-ハイル社版「イマーム・ナワウィーの『サヒーフ・ムスリム』解説」1/480参照-にありますが、タハーラに関することとして挙げられているだけに+αの言い回しがついているのでここでは割愛します)
イマーム・アフマドの「ムスナド(12601)」に出典されているというハディース(手元にムスナドは持ち合わせていないので、注解にあるものを借用します…ホントはこれは横着ですが…^_^;)では、次のような言い回しになっています。
「『私の兄弟に会えたらいいのですが…。』
そこでサハーバが尋ねました。
「我々はあなたの兄弟ではないのですか?」
『あなたたちは私の友です。
ところが私の兄弟とは、私を見ずして私を信じるようになった人たちのこと。』」
(「リサーラ・クシャイリーヤ」スフバ(同伴)の章、アブドゥルカリーム・アル=アター復刻、アブー・ハニーファ書院版p.448参照)
وددت أني لقيت إخواني
فقال أصحاب النبي صلى الله عليه وسلم أوليس نحن إخوانك؟
قال أنتم أصحابي ولكن إخواني الذين آمنوا بي ولم يروني
私が聞き親しんでいたものは、「イフワーニー(私の兄弟)」という言い回しのものでしたが、いずれにしても、このハディースは何度聞いても励まされ、勇気づけられます。と同時に、預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)の愛に相応しい信徒に少しでも近づけるよう頑張らねば!と反省させられもします。
言葉ではどんな風に言っても物足りないくらいですが、
私たちがアッラーを愛する前に
アッラーが私たちを愛してくださっていて、
私たちが預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)を慕う前に
預言者ムハンマドさま(祝福と平安あれ)が私たちを慕ってくださっている…
ありがたすぎるこの真実を思うだけで、心が洗われる気がします…何度でも、何度でも…
アルハムドゥリッラー(アッラーに讃えあれ)、
アルハムドゥリッラー、
アルハムドゥリッラー…
この恵みを私たちの代で終わらせては、ぜーったいなりませんよね。
ビイズニッラー、アッラーのお助けを乞いつつ、
なにがなんでも、次代へつないでゆかなければ…
改めてそう思います。
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