散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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懐かしい顔二つ

2017-01-17 08:53:24 | 日記

2017年1月17日(火)

 お相撲の話になったので、ついでに一つ。

 何場所か前のTV中継を見ていて、「あ」と気づいた。客席の中に、杉山・元アナウンサーの顔があったのである。これでも現役社会人なので相撲放送を毎日見られる身分ではないが、その後もたまたま見ているときに「あ」「あ、また」ということが重なった。国技館はじめ大相撲の取り組みに、観客として日参しておられるようである。昨16日は家で仕事の合間にTVを点け、「あっ!」と大きめの声、仕切りに入る東の力士の顔の真ん前に杉山さんの長めの笑顔、今日は砂かぶりだ、本当にお好きなんですね。

 僕が相撲を熱心に見たのは1973(昭和48)年から1980(昭和55)年頃だろうか。花籠・二子山の阿佐ヶ谷勢や北の湖が主役だったが、それを伝えるテレビアナウンサーが北出清五郎さんと杉山邦博さん、この二人が主に担当した時期にちょうど重なってもいる。北出さんは1964年の東京五輪中継でも活躍されたと聞いており、やはり少し年上だったのだ(1922-2003)。

 Wiki によれば杉山さんは1930(昭和5)年小倉の生まれ、熊本の陸軍幼年学校へ進んだとあるので我が父の少し後輩にあたる。敗戦時15歳、そこからキャリアを作り直した世代に属し、語るべきことはさぞ多かろう。1968年のメキシコ五輪中継でモンゴル人ただ一人のメダリスト、ジグジドゥ・ムンフバト(レスリング重量級・銀)の閉会式の表情を報じたが、その息子がやがて横綱・白鵬として角界に君臨すること、奇なる事実の好例である。

 「泣きの杉山」と称されたことなど、当時僕は知らなかった。それでも僕が夢中になった情報の半ばは、この人の声に乗って耳に入ったのである。逸話の類いはすべてインターネットに譲る。僕にとって大事なのは、父親世代の一人の同時代人が好きな相撲を見るため毎日客席に足を運んでおられる事実、そして40年以上前のその人の声と顔が、心の壁紙のように今もしっかり定着していることである。

 

***

 こちらはもっと瞬間的・表面的なこと。新しい大河ドラマの二回の放映で、世間が子役らの活躍に注目している間、僕は主人公・おとわの父親である井伊直盛役のが気になっていた。どこかで見たのである。大河に出るのだから名の知れた俳優なんだろうが、僕はTVを見ないから俳優の名前なんか聞いてもわからず、ましてこういう既視感は珍しい。隔靴掻痒の感覚をもてあそんでいたら、第二回の最後でおとわがジョリジョリと自分の髪を切り始める、それを見た直盛が目を剥き大口を開いて絶叫する、その瞬間に思い出した。

 『まんだら屋の良太』

 ああそうだ、それですよ。これ、原作はマンガである。「九州にある架空の温泉郷と北九州市小倉を舞台にした連作艶笑漫画、作中の会話はほぼ小倉弁で語られるのが特徴」とWikiの要約。1979年から1989年まで『漫画サンデー』に長期連載された畑中純の人気作だが、決して文科省には推薦され得ないこの作品をなぜかNHKが1986年に実写ドラマ化した。その時の主演が杉本哲太、相手役が石野陽子だったのだ。由利徹、蟹江敬三、吉行和子、小沢栄太郎といった錚々たる顔ぶれで脇役を固めるのがNHKらしく、竹中直人も名を連ねていたりする。

 ただ、それ以上の思い出はないのね。ドラマもほとんど見なかった。1986年というのがちょっと意外で、自分が覚えているからにはもう少し前のものかと思った。86年は医者になった年でこのあたりから暫くは忙しく、スポーツ・漫画・映画などの記憶が空白期に入る。その最後のページに、原作の頬の膨れた良太とは違って下駄の形の顔をした、いかにも不良少年あがりらしい俳優が、ヘンテコな仕草で踊っているタイトルバックが挿入されている。

 それだけのことだが30年ぶりと思えば懐かしく、また「小倉」というキーワードで杉山アナウンサーと『まんだら屋』がつながるのも面白かったりする。自分自身の記憶ぐらい妙なものはない。

 

Ω


ガッツポーズ

2017-01-17 07:48:12 | 日記

2017年1月17日(火)

 勝沼さん、いつもありがとうございます。コメントもありがたいのですが、欠かさずフォローしてくださると思うと、振り子時計の振り子の動きを確かめるような安心感があります。

 ガッツポーズの件、アメフトのルールの不思議もさることながら、勝沼さんが「自分が試合で負けた時の気もち」をまず振り返ったことが面白く、大事なヒントでもあると思いました。そこに頭が行かなかったのは、私の競技スポーツ経験の乏しさゆえかもしれません。乏しい経験を探索してみれば、なるほど相手の勝利の喜びに不快を感じることはあまりなかった ~ むしろ競技中の相手のアンフェアな態度、それ以上に応援マナーの悪さのほうがよほど悔しかったり腹が立ったりしたような記憶があります。

 そこに一つのポイントがあって、この種の問題は競技者よりも見る者にとって重要なのではないでしょうかね。私が気になるのもそこのところで、負けた側の気もちを忖度するというよりも、要するに見ている自分が愉快になれないということなのでしょう。当然ながら見ている者の感じ方・考え方は多様ですから、誰かに押しつける性質のことでもありません。逆に押しつけられる筋合いもないから、言いたいことを気楽に言っているわけですね。さだまさしさんが「私のように感じる者も、中にはいるのだということを言っておきたい」と慎重につけ加えておられましたが、これが発言者の基本スタンス。そうした大小の声を聞き合わせながら、その競技にふさわしいありかたを考えていくのが、当該スポーツを運営する組織の見識ということになるのでしょう。

 ついでに言えば、昨日も国技館に響いていた特定力士への手拍子の応援は、個人的には感心できません。一人一人が力士の名を呼んで声援することとは全く違う、数による押しつけがましさを感じるからですが、そもそも品がなくって国技館には似あわない。ただ、勝沼さんもおっしゃるように「思わずはじける」ということはありますし、それが筋書きのないドラマの醍醐味の一部でしょう。1975(昭和50)年春場所に貴ノ花(貴乃花の父)が北の湖と優勝を争い、本割りで負け13勝2敗の相星となって優勝決定戦に臨んだとき、花道から入場する貴ノ花の足どりにあわせて手拍子が起きたことがありました。ごく短時間だったと記憶しますが、それでも当時としては非常に珍しいこと。これなどは貴ノ花の人気とともに北の湖の圧倒的な強さを裏書きし、逸話として「あり」だったでしょう。

 「あり」の例としてもうひとつ思い出すのはボルグとマッケンロー(!)の角逐で、1980年のウィンブルドン決勝で凄まじい激戦をボルグが制した時 ~ 伝説のタイブレークとか言うのでしょうか、私はテニスが全くわからないので違ってたらごめんなさい ~ プレー中は感情を抑えに抑えていたボルグが勝利を決めた瞬間、野獣のような咆哮とともに膝をつき天を仰ぎましたね。ガッツポーズなんて気どったものじゃない、凄まじい絶叫でしたが、こんなのはそれこそ話が別だと思うのです。

 考えてみればスポーツの影響力というのは凄い、競技者の数の百倍、千倍、一万倍、場合によっては数百・数千万倍の数の視聴者を否応なく感動の坩堝に引きずり込むんですから。『ホモ・ルーデンス』の今日的な様相でもありますね。それだけに高校野球や高校サッカーがマナーをやかましく言うのは当然で、何かが間違って伝わったらその害は違法薬物のそれでは済まないかもしれない。こういう時には口うるさいのが大人の徳というものです。

 勝沼さんもよく御存じの桜美林M先生、同大学の野球部を見事一流に押しあげました。彼は高校時代に春の甲子園一回戦で決勝ホームランを打っていますが、ダイヤモンドを一周するときそれこそ気もちが溢れ、味方ベンチに向かって「やった」と拳を振るような動作をした、そのことを次の試合の開始前に球審から注意されたそうです。私はそれで良いと思うんですよ、注意されても気もちが溢れるのは若者の常、心の中で祝福しながら小言いうのが昔若かった大人の仕事、1970年代終わり頃の風景でした。

 時は移り、今では優勝チームが人差し指を立ててピョンピョン跳びはねるのがお決まりの風景。私は嫌いですが気もちはわかります。自分が選手だったら、カッコ悪いの承知でやっちゃうかもしれない、問題は大人が物わかり良さを気どって注意しないことです。

 「まず整列して挨拶、喜ぶのはその後にしなさい」とね。

Ω