散日拾遺

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redemption ブログ版

2016-03-30 08:04:26 | 日記

2016年3月30日(水)

redemption

 

ちょっと不思議な質問がT君から来た。

 「redemptionという言葉を辞書で引くと『贖罪』という意味が出てくるが、どういうことか教えてくれないか」とある。

 日本で話題になった『想像ラジオ』(いとうせいこう)を面白く読んだ、そこに紹介されているボブ・マーリーの歌がまた良い、その歌詞が 「redemption」をテーマにしているのだけれど、誰かが和訳したものをインターネット上で見たら、「黒人を差別してきた白人に、罪を償わせろ」と いうようなものになっている、「redemption」を「復讐」とか「反撃」とか訳すことはできるのだろうか、あらましそういう質問である。

 答えはもちろん「No」である。どこの誰だか知らないが、デタラメにもほどがある。誤訳とか何とかいう以前の問題で、ネットの怖さは、こういうデタラメが本筋を押しのけて伝染する危険のあるところだ。

 redemptionは、動詞redeemの名詞形、redeem とは「身代金を払って買い戻す」の謂、主イエスが自身の命を十字架の上で差し出し、それを身代金にして僕らを罪から買い戻してくださった、 そのことを指している。貴い犠牲による救いを意味するのだから「復讐」どころかその反対、復讐の連鎖を断ち切る自己犠牲の強靱な刃である。YouTubeで聞く実際の歌も、贖われて自由にされた感謝と喜びが懐かしい素朴な声で歌われ、そのどこに「復讐」だの「落とし前」だのを聞き取るのか、耳はあるのかと言いたい。

(http://www.lyricsfreak.com/b /bob+marley/redemption+song_20021829.html)

 T君どうやら腑に落ちたようで、「我々は救われた存在、津波の犠牲者が命を賭して贖ってくれた、そういうことか」と返信してきた。仰るとおりに違いない。僕もさっそく『想像ラジオ』を買ってきた。(ラヂヲと書いてみたいかな。)

 ついでに言うなら「身代金で買い戻される」 redeem のイメージは、奴隷一般から遊女の身請けまで広く翼を伸ばす。ISの人質が身代金と引き替えに解放されるのも redeem になるか。むしろ誰かが身代わりに人質に入ると考えたが良い。誰かに誰を見るのかが、僕らの信仰のいわば認識番号みたいなものである。

 救われるとは、請け出されること。自由になるとは、自由にされることだ。

***

 以下は別のT君の思い出である。

 苦難や不条理について考えるとき、思い出すことがある。医学部の最後の夏、浜松の聖霊ホスピスへ一週間の見学に行った。ほとんどが中高年以上の入 院患者の中に、ひとりだけ中学生の男の子T君がいた。骨肉腫に見舞われ、まだ成長しきらない華奢な体をベッドに横たえていたのである。

 若い人の病気は痛ましいものだ。きれいな若い肌のあちこちに、骨肉腫の転移でできたコブが盛り上がっている。転移病巣は肺の中にもあって頻繁に呼吸困難を引き起こし、その度に医師が駆けつけて応急処置をする。つきっきりの母親に父親や高校生の兄が加わり、家族が懸命に祈り続けている。朦朧として言葉もはっきりせず、それでもT君はときどき目を開くと笑顔で皆に話しかけるのだった。天使の笑顔である。

 ある午後のこ と病室を訪ねると、珍しく付き添いが誰もいない。T君は軽く目を閉じて眠っているように見えた。僕はベッドに近づいて、独り言のように「T君のことを お祈りしているからね」と呟いた。

 次の瞬間の驚きを、僕は生涯忘れないだろう。眠っていると思ったT君が、たどたどしい舌で、しかしはっきり 言ったのである。

「僕も、おにいさんのことをお祈りしてるよ。」

 本当に、どうしてこの世に苦難があるのだろう?どうして僕ではなく彼が病み、僕らではなく彼らが津波に呑まれるのだろう?

 僕らは答えをもっていない。ただ、自分の代わりに苦難を負ってくれた人があり、苦難の中で自分のために祈ってくれた人があることを知る。僕らの命がキリストに贖われたものであり、名も知らない誰かの苦難によって僕らが生かされていることを、思わずにはいられない。

Ω


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