散日拾遺

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同い年のCCCで当事者さんたちと盛り上がったこと

2016-02-25 07:58:54 | 日記

2016年2月13日(土)・・・10日後の振り返り

 日記代わりのブログ、日記と同じで、充実していた日に限って記載が遅れがちになる。1月後半からのプチ講演ラッシュ、締めくくりはCCC(キリスト教カウンセリングセンター)主催の講演会。『統合失調症が問いかけること』というタイトルがヒットしたようで、定員100人の予定を超える出席者があったようである。一時的に気温の上がった南風の強い日で、めったに降りない目白駅から学習院とは反対側、西へ向かって歩いて行けば、ここは教会が多いのだね。目白通り北側の聖公会など、ちょっと目を見張る感じに美しい。

 僕のめざすのはそこではなくて、その少し先を南へ折れたここ。

   こちらも立派でしょう。

   証拠写真

   これまた証拠写真

 会場では賀来先生が、まだ早いのに出迎えてくださる。僕は賀来先生に私淑していて、こうしてお目にかかれるのが嬉しいので、講演やら執筆やらのお手伝いをしている。

  こちらが賀来周一(かく・しゅういち)先生

 昨年はルーテルの牧会セミナーで使っていただいた。今年も実施されたそうで、テーマは「十字架の神学」だったかな。「贖罪」だけで良いのかどうか論じられたというので、ちょっと驚いた。

 「主の十字架に、贖罪以外の意味があるのですか?」

 「不条理という視点から考えようという動きがあるんです。」

 ははあ、こいつは驚いた。なるほど不条理には違いない。不条理と言えばヨブ、『ヨブへの答え』とはキリストに他ならぬというのがスジではあるが、十字架そのものを不条理として理解すると・・・ん~、ちょっとイヤな予感もある。世俗化=人間化=矮小化のひとつの形でなければいいんだけれど。

 わが家族も含めて続々と参加者が部屋を埋め、会場が満杯になった。斎藤友紀雄先生の御挨拶があり、今年CCCが創立30周年であることを知る。「実は私も医者になって30周年で・・・」と自己紹介したら、おおっと会場が湧いて自然に拍手が起きた。今日の聴衆はノリが良いと思うと、こちらも自ずと気合いが入り、「2時20分には終えます」と約束して始めたのに、珍しく時間超過して ~ フロアの了解を得ながら ~ 2時40分に及ぶ。いずれは『精神分裂病の世紀』というタイトルでまとめたい諸々の思いの丈を、聴衆に甘えて共有してもらった形である。

 冒頭、ほんの1~2分の呼び水に語るつもりだった三春のMさんのことが、思いがけず長くなった。発病の経緯、入院の顛末、その後の回復と結婚、今日に至る交流まで、一緒に歩いた半生を振り返ることになったのだが、これで良かったんだな。Mさんのこと/Mさんとのことの中に、語るべきすべてのことが含まれている。教科書的に定義・学説や数値を語るより、事実に語らせた方がよっぽど良い。

   こんな感じでありましたのですが、本当は僕の方からの写真を撮りたかった。というのも

 質疑応答に入ってフロアの盛り上がりがすごかったのである。

 まず、前列に座っていた若い女性が勢いよく手を挙げた。

 「私は何年か前から精神科に通って、統合失調症の診断を受けています。これまでそれを受け入れることを拒否してきましたが、これからはまっすぐ向き合って病気を治していきたいと思います。」

 これに触発されたように、フロアのそこここから自己開示の発言が続出し、他の発言者に対する助言やエールのレスポンスも活発で、当事者集会さながらの熱気が室内に充満した。笑いと拍手が随所に混じり、この様子を向谷地さんに見せてあげたい気持ちである。

 それにしても、スティグマの現実の深刻であることには驚いた。

曰く、「公の立場にある人から、『あんたなんか尖閣諸島でも行って小屋がけして、そこで死になさい』と言われた」

曰く、「症状の安定を理由に障害年金の等級を下げられた。精神障害者枠の雇用ではきわめて限られた仕事しかさせてもらえず、生計が維持できない」

曰く、「精神保健福祉士の資格を取って某病院に職を得たが、既往について上司にうちあけたら、翌日退職勧告された」

 すべてがそのまま事実であるかどうかは、この際問わない。仮に割り引いたとしたところで、僕らの社会はまだまだまだなのである。講演で述べたとおり、精神病者監護法と私宅監置は『坂の上の雲』の裏話にあたる。それが当時の日本としてやむを得なかったと考えるなら(僕はそうは思わないが)、今こそは謝罪と償いの時なのだ。別に日本(人)だけが酷薄だったわけではない。世界中どこでもそうであったのが、20世紀も後半に入ってようやく反省が生まれてきたのである。

 ただ、何においても「追いつけ追い越せ」を身上としてきた僕ら日本人なのに、この点においては追いかける意欲があまりに乏しい。ライシャワー大使事件は1964年3月、歴史的なケネディ教書が発表されたのはその前年の1963年2月である。僕らは選択的に取り入れ、選択的に無視したのだ。1900年においてのみならず、1964年においても!

 (→ 「精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書 (Message from the President of the United States relative to Mental Illness and Mental Retardation)」 http://www.arsvi.com/d/m01h1963k.htm これは感動的な文章である。是非一読したい。) 

 

 今年は久しぶりに科研費を申請してみようかな。精神疾患をめぐるスティグマの実態調査というテーマで、認知症その他で同種の計画を進めているI先生やT先生とコラボすれば、コスパ良く作業を進められるかも知れない。

 締めくくりは、Mさんからのプレゼント。照れくさい。

「似てます?」「似てます~!!」と満場一致のお墨付きをいただいた。

 

 

 


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