散日拾遺

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ザクロとザグロス

2023-01-09 09:04:24 | 日記
2023年1月9日(月・祝)

 ザクロ(石榴、柘榴、若榴、英名: pomegranate、学名: Punica granatum
 よく茂る緑の若葉が美しく、紅の花と実がこれによく映える。おまけに育てやすいので、庭木にも盆栽にもよく利用される。胡林(こりん)と名づけた作業部屋の窓の正面にその古木があるのだが、気の毒なことに庭の北西隅で陽当たりが悪い。挿し木や取り木で殖やせるとあるから、そのうち南側に子を植えてやりたい。
 この植物の魅力を増すのがその名前である。原産地は西南アジア、南ヨーロッパ、北アフリカなど諸説があるようだが、いずれにせよ3世紀までに中国に伝わり、それが西暦923年(延長元年)に本朝に渡来したとWikipediaがピンポイントで記す。この年に何があったか、手許の日本史年表にはこれといったできごとが見つからない。大唐帝国が907年に滅び、これと連動して926年に渤海が契丹に、935年には新羅が高麗にそれぞれとって代わられた。東アジア動乱の10世紀であり、その時期に誰のどんな目的での渡航に伴ってザクロが伝わったか、にわかには想像がつかない。
 ともかく初めに中国の誰かが西域からザクロをもちかえった。その際、イラン高原にそびるザグロス山脈にちなみ、これを現地音に近い「石榴」の字で記したのがザクロとなったというのである。少なくともそういう説がある。胡林に逼塞する目の前が、やおら時空を超えて拡がりはじめる。

 Wikipediaが923年渡来説の出典に示しているのは下記の文献で、著者は島根県の産婦人科医であらせられる。

 水田正能「エストロゲンと鬼子母神」『日本醫事新報』第3991号、2000年10月、 43-44頁

 産科の先生のこうした論文にザクロが扱われる事情は、Wikiが「文化・神話・宗教」の項に列挙するおそろしく多彩な逸話の内に窺われる。
  • 初夏に鮮紅色の花を咲かせ、他の樹木が緑の中で目立つため、王安石は『万緑叢中紅一点』(咏石榴詩)詠んだ。
  • 花言葉は「優美」「円熟した優美」「優雅な美しさ」「愚かしさ」
  • 日本の一部の地域では凶事を招くとして忌み嫌われるが、種子が多いことから豊穣や子宝に恵まれる吉木とされる国や地域が多い。
  • トルコでは、新婚のとき新郎がザクロを地面に投げて割り、飛散した種子の数で、その夫婦のあいだに生まれる子どもの数を占った。
  • ギリシャでは、新年に玄関前でザクロを床や玄関に叩きつけ、その年の幸運と繁栄を祈る風習がある。
  • 古代ローマでは、婚姻と財富を象徴する女神ジュノーの好物とされていた。
  • 色が似ている宝石のガーネット(石榴石)、その英名 garnet は中世ラテン語の grānātum(種の多い)に由来する。
  • スペインのグラナダ (Granada) の地名は、ザクロの木が多く植えられていたことに由来する。スペインの国章の下部のザクロも過去のグラナダ王国を表す。
  • 火薬と金属破片を内蔵し、爆発とともに破片を散らして敵を殺傷する爆弾の事をGrenade(英)/榴弾と呼び、この語はザクロに由来する(和訳も同じ)。球形の弾体が裂けて破片をこぼす様をザクロに見立てている。
  • エジプト神話では、戦場で敵を皆殺しにするセクメトに対し、太陽神ラーは7,000 の水差しにザクロの果汁で魔法の薬を作った。セクメトはこれを血と思い込んで飲み、酩酊して殺戮を止めたという。
  • ギリシャ神話の女神ペルセポネーは、冥王ハーデースに攫われ、6つのザクロを口にしたことで、6か月間を冥界で過すこととなり、母・デーメーテールはその期間嘆き悲しむことで冬となり、穀物が全く育たなかったが、ペルセポネーが戻ると花が咲き、木々には実がついたという。このため、多産と豊穣の象徴とされている。ローマ神話ではプロセルピナといい、ザクロは復活の象徴となっている。
  • キリスト教では『聖母子像』でイエスがザクロを持っている図像もあり、後のキリストの受難を表す。
  • ユダヤ教では、虫がつかない唯一の果物として神殿の至聖所に持ち込むことを許された。
  • 釈迦が、子供を食う鬼神「可梨帝母」に柘榴の実を与え、人肉を食べないように約束させた。以後、可梨帝母は 鬼子母神として子育ての神になった。柘榴が人肉の味に似ているという俗説も、この伝説より生まれた。
 何とまあ、人の想像力と長い帯同の歴史をもつことか。そこに「生殖」と「破壊」の両面があることも生命樹のイメージにふさわしい。
 「キリストの受難」は、花実の色が鮮血のそれに似ていることに由来するだろうか。
 もう一つ、絵には描かれていないがザクロの枝にはそこそこ鋭い棘がある。それがキリストの頭(こうべ)に置かれた荊冠を連想させるものかと思われる。

Fra Filippo Lippi, 『聖母子とマリア誕生の物語』1452年頃

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