散日拾遺

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「復讐するは我にあり」 本来の意味

2024-01-23 11:23:51 | 聖書と教会
2024年1月23日(火)

 これはまた盛大に誤解転用されているようだが、「我」とは報復の怒りに燃える当事者自身ではなく、主なる神であるのが本来の形。
 まず、先の項に転記したパウロの言葉から。

 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
 「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」Ⓐ
 と書いてあります。
 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」Ⓑ
 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。
『ローマの信徒への手紙』12章19-21節

 「と書いてあります」とある通り、これはパウロのオリジナルではなく旧約聖書からの引用である。引用元はいろいろ考えられるが、たとえば次の通り。

Ⓐ 
 わたしが報復し、報いをする/彼らの足がよろめく時まで。彼らの災いの日は近い。彼らの終わりは速やかに来る。
申命記 32章35節

Ⓑ - 1
 エリシャは答えた。「打ち殺してはならない。あなたは捕虜とした者を剣と弓で打ち殺すのか。彼らにパンと水を与えて食事をさせ、彼らの主君のもとに行かせなさい。」
 列王記下 6章22節

Ⓑ - 2
 あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。
 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。
箴言 25章21-22節

 以上、引用終わり。特に箴言のそれが鮮やかだろうか。

Ω

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