散日拾遺

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ブッデンブローク

2016-05-24 14:25:43 | 日記

2016年5月24日(火)

 いつものことで、何かが進行している間はなかなかそのことを書けない。

 『ブッデンブローク』はこれからが圧巻のはずだが、既に十分楽しんでいる理由の一つは歴史的背景である。1800年代中葉、近代ドイツ成立直前の北ドイツの息吹がそこかしこに描きこまれて退屈しない。シュレスヴィッヒ=ホルシュタイン問題、関税同盟への賛否、1848年の革命の評価など、政治史上の重大事件が人々の会話にのぼり、それらを横目に見ながら父祖伝来の商会の維持発展を図ろうとするトーマス・ブッデンブロークが一方の主人公である。

 その妹トーニ(アントーニエの略称)は、一度目は両親の意を体し、二度目は我を通して結婚したものの、いずれも破綻に終わって今は娘エーリカの将来に夢を託している。トーニはトーマスの分身のようなものだから、二人で一人の表(おもて)ブッデンブロークと言うべきか。その弟妹、クリスチャンとクララが裏である。「トーマス」と「トーニ」、ついでに例の「トニオ・クレーゲル」などもあわせ、著者トーマス・マンの「T」への思い入れを感じたりもする。クリスチャンとクララは「C」なのだな。

 ブッデンブローク一族が住むリューベックはハンザ同盟の盟主であった伝統をもち、勤勉な北ドイツの商業家魂の象徴的な拠点である。参事会員として代々彼の地の繁栄を支えてきたブッデンブローク、その出自を誇らずにいられないトーニの嫁いだ先は、初めがフランクフルト、次がミュンヘンだった。フランクフルトは普墺戦争でオーストリアに与し、大きな損失を被ったことが途中に出てくる。地方勢力が割拠する統一前のドイツの様子がよくわかるが、それ以上に面白いのはリューベックとミュンヘンの縁組みで、トーニはミュンヘンの言葉も食べ物も、人の振る舞いも宗教までも、徹頭徹尾「合わない」のである。(北ドイツはルター派の福音主義が盛んでブッデンブローク家も ~ そして/従ってトーマス・マン自身も ~ その例に漏れず。いっぽうミュンヘンを含む南ドイツはカトリックが強い。)

 さらに中巻で面白いのは音楽談義で、実はこのあたりが家族の不和と没落の伏線にもなる。トーマスの妻・ゲルダは相当なバイオリンの弾き手で、アムステルダムの実家から持ち来たった愛器は人もうらやむストラディバリである。仲むつまじい夫婦と見えて、音楽のことになるとゲルダはトーマスの容喙を頑として許さない。自ずとトーマスも反発してなおさら音楽を敵視する。その間にあって一粒種が母親に取り込まれていく様が一族の未来を予測させるが、同時にこの家族内葛藤は、『トニオ・クレーゲル』に活写された作家個人の内面的葛藤 ~ 芸術対世俗 ~ の由来にも重なるようだ。

 キリがないので端折ってしまおう。中巻の終わり近く、ワーグナーの音楽の評価を巡って議論が生じる。これを歓迎して自ら演奏しようとするゲルダ、断固拒否しようとする教会オルガニストにしてゲルダの息子の音楽教師であるピュール氏、しかし最後には後者が折れていく。『マイスタージンガー』をアレンジして演奏する/しないが議論になっているのだけれど、この曲が最初に世に出たのは1867年とあり、ブッデンブローク邸での議論はそれからいくらも経っていない理屈だ。当時の人々のリアルタイムの興奮やら動揺やらが彷彿されるようである。

 さて、トーマス乾坤一擲の大麦の青田買い(って、変ですか、青畑買い?)は、ただ一日の雹のためにあえなく失敗に終わった。没落の下巻が楽しみでもあり、読む前から痛ましくもある。

Ω


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