散日拾遺

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沖縄補遺の補遺 ~ 久松五勇士

2014-05-27 07:29:04 | 日記
2014月5月27日(火)

 日本海海戦の日、だそうである。1905年5月27-8日だ。

 となると、沖縄シリーズの締めくくりは久松五勇士ということになる。
 こういうのは Wiki が便利なので、ありがたくコピペする。ただし、あらかじめ2点注記。

 「宮古島から石垣島まで、サバニで15時間170キロ漕ぎつづけた」とある。石垣島東岸に上陸後、さらに30キロを夜行して27日早暁の石垣電信局(八重山郵便局)に駆け込んだ。
 命がけの航海の方角に注目したい。石垣島は宮古島からは西にあたる。東ではない、西だ。北上するバルチック艦隊とほぼ逆行、日本本土の方角とは正反対である。最寄りの(!)電信施設に急行するため、彼らは反対向きにひた漕ぎに漕いだのだ。
 なぜかそのことが、この風景に非凡さを付け加える。涙まじりの可笑しみといってもよい、命のかかった可笑しみである。

 

 もうひとつ、文中にあるように彼ら五人の行動は、初めは(第一報でなかったために)忘れられ、昭和の大日本帝国膨張期に発掘・顕彰され、戦後にまた忘れられた。一貫して「軍事」の観点から注目されたり忘れられたりしている。それが実際「本土」の平均的感覚であったのだろうが、その了見が笑止だというのだ。
 1879年の「琉球処分」から四半世紀、ロシアの艦艇が中国の漁民と誤認した通り、依然として「本土」とかけ離れた風貌・風情の島の人々が、このときこの行動によって明確に自己を「日本人」と規定したのである。
 国民も国家も自然の実在などではない、その都度の意思表示と行動によって確認され再生産される虚構なのだ。日本人には見えにくいこのカラクリを、琉球人はこの1世紀半いやというほど意識し続けている。それを浮き彫りにするのが久松五勇士の物語で、軍事はことの本質からはるかに遠い。帰属と排除、統合と疎外こそが真のテーマなのだ。
 そうであるなら、その時の雰囲気で思い出したり忘れたりできるはずがない。
 
 これでこの度の沖縄シリーズは本当にオシマイ、見れば最近有名な著述家が「21世紀の『琉球処分』」というフレーズで、沖縄の内在的視点が「本土」側で絶望的に欠落していることを指摘したりしている。
 気がつかないうちに地雷原に近づいていた。

*** Wiki のコピペ ***

 久松五勇士(ひさまつごゆうし)は、日露戦争時に行われた日本海海戦に先立ち、バルチック艦隊発見の知らせを宮古島から石垣島に伝えた5人の漁師の呼び名である。

【概要】
 1905年、ロシア海軍のバルチック艦隊が極東へ向かっていた。5月23日、奥浜牛という那覇の帆船乗りの青年が宮古島付近を北上しているバルチック艦隊に遭遇した。バルチック艦隊も彼を視認していたが、龍の大漁旗と、独特の長髪のために中国人と判断して捕えなかった。奥浜は宮古島の漲水港(現・平良港)に26日午前10時頃に着き、駐在所の警察官とともに役場に駆け込んだ。
 宮古島は大騒ぎとなった。当時の宮古島には通信施設がなかったため、島の重役・長老達の会議の結果、石垣島にこの情報を知らせる使いを出す事となり、松原村の垣花善・垣花清・与那覇松・与那覇蒲と、久貝原の与那覇蒲(松原村の与那覇蒲とは同姓同名の別人)の漁師5人を選抜した。5人は15時間、170キロの距離をサバニを必死に漕ぎ、石垣島の東海岸に着いて、さらに30キロの山道を歩き、27日午前4時頃、八重山郵便局に飛び込んだ。局員は宮古島島司(島長)からの文書を垣花善から受け取って電信を那覇の郵便局本局へ打ち、電信はそこから沖縄県庁を経由して東京の大本営へ伝えられた。
 日本本土への連絡は信濃丸によるものが数時間早かったため、この情報が直接役に立つことはなかった。その後5人の行為は忘れられていたが、昭和時代に入り、この事実が発掘され教科書に掲載されると一躍評価が高まり、5人は沖縄県知事から顕彰され郷土の英雄となった。

【影響】
 たとえ本土から遠く離れた島の漁師でも、国家への忠誠心は本土の国民に負けず劣らないという話は、軍事色が強まる傾向にあった日本国内や拡大を続ける外地などで格好の話題となった。
 軍事色の強い話題だけに、戦後、教科書から姿を消すと本土では瞬く間に忘れ去られていったが、宮古島や石垣島では依然として郷土の英雄という評価は揺るがず、石垣島の上陸地点には「久松五勇士上陸之地」の石碑が、宮古島にはサバニを5本の柱で支えるコンクリート製のモニュメントが建てられた。
 宮古島市久松出身の the Beatle Crusher(ザ・ビートルクラッシャー)というバンドが、『黒潮の闘魂 ~ Go-You-Sea ~』というタイトルで久松五勇士を歌っている。また、宮古島の銘菓の名前にもなっている。
  

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