散日拾遺

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千字文 122&123 ~ 姿勢学のススメ

2016-12-31 11:29:26 | 日記

2016年12月31日(土)

 せめてこれを年内に片づければ、少しは達成感があるかなと俗な欲が出たりして、都合の良いことに122、123はあんまり深みがないのね。

 矩歩引領 俯仰廊廟 (くほ・いんれい ふぎょう・ろうびょう)

 「矩」は「矩(のり)を越えず」の「矩」、もともと「定規」の意だから、「矩歩」で「規則に合った歩き方をする」こと。小山ゆうの『俺は直角』とか思い出した、失礼しました。

 「引領」は首を伸ばして待つことで、ここでは姿勢を正しくすることだそうだ。そうそう「死生学」は「姿勢学」、つまり心と魂の姿勢を整えることだと、数日前に思いついたのだった。深み、あるじゃん。「俯仰」は「うつむくこと」と「あおむくこと」で、あわせて起居動作、「廊廟」の「廊」は宮殿の回廊、「廟」は祖先をまつる「みたまや」だから、ここは「廊廟」で朝廷のこと。

 「規則に従った歩き方をし、頭をあげて姿勢正しく待ち、宮中では宮廷にふさわしい態度で行動する」のだと。そうね、機会があったらね。

***

 束帶矜莊 徘徊瞻眺 (そくたい・きょうそう はいかい・せんちょう)

 「矜莊」は、つつしみ深く厳かな様。もっぱら「矜持」「荘重」という熟語で使っている字だが、そういうことだったのね。「徘徊」がもっぱら病理的な意味で使われるのは残念ではある。「譫」の字は「譫妄」で使う ~ 「せん妄」にしちゃうからかえって訳が分からない、「譫(うわごと)」や「妄(想)」が活発に出現する病態と考えればイメージできるでしょうと、面接授業の定番ネタ ~ が、「瞻」は「仰ぎ見る」ことだったのね、「眺」は「遠くを眺める」、「眺望」の「眺」か。

 「(引きつづき宮廷では)盛装して、つつしみ深くおごそかであるが、歩き回り、上を仰ぎ、四方を見回すこともある」と。そうでしょうとも。

 Ω


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