散日拾遺

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守真志滿 逐物意移 ~ 千字文 050

2014-03-30 07:57:35 | 日記
 50回目はキリが良いが、まだ半分にも達しない。

○ 守真志滿 逐物意移(シュシン・シマン チクブツ・イイ)

 真(自然の道)を守れば、志は満たされ
 物を追い求めれば、心もそれにつれて変わる。

 李注の記載が微妙だ。後半について、こんな風に記している。
 「普通の人の生まれつきの気質は、学ぶことによって変わる。善にあえば善となり、悪にあえば悪となる。心が定まらないのに物を追うから、心が変わるのである。」(イタリックは引用者)
 つまり前半と後半を、「非凡」と「平凡」の対比として解釈するわけだ。

 今日の教育システムは「平凡」な標準人を対象とするから、「学ぶことによって変わる気質」に善い薫陶を与え、善い気質に鍛冶することを目ざす。それが当然である。
 ただ、李注の解釈によれば、それは「守真志滿」を求め得ない凡夫に対する、妥協的な方策でしかない。理想は「守真志滿」、すなわち真理の大道に根を下ろし、志満たされて何によっても変えられない境地だ。君子の目ざすところ、エリート教育である。
 これは相当に議論できるし、議論を楽しめそうなところだな。僕などは、自分の心が悪しき方向に定まってしまい、善き薫陶を受けつけなくなっていることのほうが心配だけれど。

***

 先週の薄暗い水曜日「通夜」の相手をしてくださったS先生と、メールのやりとり。
 嘗て学生時代に、『李注』を学んだことがあると教えてくださった。
 「夫唱婦随」は死語かもしれないが、「婦唱夫随」は当家の現実ではありませんかと御指摘あり。
 一本取られました。

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