2017年10月27日(金)~11月12日(日)
毎度のことだが診療に関連する記事については、ことの性質上かなり話を変えてある。無用の注釈とは思いますが、文字通り真に受けたりしないでくださいね。私、そこまで責任負いませんから。
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イナカで育ったから、雨上がりにはミミズがいっぱい出てくるんですよ、それもみんな太いの!東京のミミズは栄養失調ですよね。太いミミズを捕まえて、注射器で注射するんです。そうするとムクムク膨れて、星の王子様のウワバミみたいな形になっちゃうの。
そう、それ!ミミズは血液あるけど血管がないから膨れるんですね。色ですか?色水注射したら色が変わるかって?そこまでやりませんよ、先生ひどいこと考えるのね、ミミズかわいそう・・・
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投票ですか?今回は行きました。友達がQL党に投票してくれってうるさく言ってくるので、
<入れたげたんだ?>
いえ、QL党以外の党に投票するために行ったんです。だって、ほんとにしつこいんですよ、久しぶりにアタマに来ちゃった。
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そろそろ疲れのたまってくる午後4時頃、待合室のMさんに声をかけたあと首を回したりさすったりしていたら、それを見るなり、
「先生、肩こりですか?もんでさしあげましょうか?」
気遣わしげな声に、トーンといきそうになった。さぞや心地もよかろうが、さすがにそれはアウトというもの、お気持ちだけありがたく受けとり、行儀よく診療を進める。
それにしても強烈なものだ。ハスキーで柔らかい声、言葉の内容と完全に一致した表情と声調、義理や外交辞令ではない本心からのねぎらいは、一触で心の土台を覆す力をもつ。これって、ほんとにただの言葉?
「もんでさしあげましょうか?」という表現の奥ゆかしさも、実は一撃の破壊力をいや増している。すましかえったセレブの言葉のようだが、違うんだな、これが。親との関係が体をなさず、初めから平穏無事とはほど遠いMさんの生活史。湘南あたりで相当やんちゃしながら、きわどく40数年を生き延びてきた。ぎりぎり高校は卒業したものの、学歴とも系統だった勉強とも無縁の女性である。
ただ「読む」という作業は大好きで、国語の教科書が配られると、そこに載っている小説・随筆・詩・論説など端から貪るように読み尽くし、授業が始まる頃には早く次の教科書もらえないかなと待ち遠しかったそうな。この一点で意気投合、<屋根の上のサワン?> 「読みました!」 <杜子春?> 「中学2年!」 <国境警備の兵隊同士が仲良くなって、そのうち二つの国が戦争になって・・・> 「小川未明さんですよね、えっと、えっと『一輪の薔薇』それとも『野ばら』?、泣いちゃった・・・」などという具合。そうして蓄えた豊かな日本語が窮境の彼女の支えになり、「もんでさしあげましょうか?」という美しい表現をごく自然に紡がせるのである。
もんでもらったら、どんなに心地よかったかしれない。けれども「もんでさしあげましょうか?」という一言はそれにも増して快い。魂のこりをもみほぐす、妖しく柔らかい真言である。
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