散日拾遺

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村上氏講演『科学史から見た精神医療』/長生殿縁起

2014-06-27 23:32:10 | 日記
2014年6月26日(木)

 今年度の精神神経学会が今日から開催。みなとみらい線のおかげで、横浜の会場が我が家からすこぶる便利になった。怠けの虫が動き出す前に、早々に出かけて入場手続きを済ます。ちゃんとポイントをもらわないと、専門医資格がなくなったら大変だからね。

 村上陽一郎氏の特別講演『科学史から見た精神医療』、今日はこれが聞きたかったのだ。
 もっとも御本人はのっけから「羊頭狗肉」と逃げを打っておられ、それは御謙遜としても確かに肝心の問題を、解くのではなく提示して終わったようである。肝心の問題 ~ 心と体の関連に関するデカルト以来の原理的疑問、いわゆる心身問題のことだ。最後のスライドでようやくこれに触れ、さらりと解説。
 因果関係説・・・カテゴリーを異にするものの間に、因果関係を設定できるか?
 並行関係説・・・合理的ではあるが、説明になっていない。
 唯心論/唯物論・・・問題解決の断念に他ならない。

 村上氏自身は「無理やり一つの理論で全体を説明できなくともよいのではないか」とおっしゃる。上記三説を場面に応じて使い分けることが許されてよいのではないかというのだが、ホントにホントですか?
 小講演で安直に結論をパクろうという根性が甘いかな、氏の著作などじっくり読んでみなければね。

 途中にちりばめられた逸話・挿話が面白いのは、語り手の力量の証左である。たとえば・・・
 菊池寛に『順番』という作品があり、そこに座敷牢のあり様が活写されているそうだ。
 Virchow(ウィルヒョウ:Rudolf Ludwig Karl Virchow、1821 - 1902)は近代病理学の基礎を築いた偉人だが、一方では例のゼンメルヴァイスの「手洗い励行による産褥熱予防」を批判して、彼を窮地に追い込んでもいる。ともかくそのウィルヒョウに、「結核を癒すのは医療ではなく政治」という金言があるという。
 いちばん面白かったのは、以下の逸話である。

 氏が高校教科書「物理」の執筆に携わった時のこと、「慣性」の定義として「物体がその運動を続けようとする性質」という具合に書いたら、執筆者仲間から異議が出た。執筆者中の大学人たちは何も言わず、ある高校教諭から出た異議だという。
 いわく、「続けようとする」との表現はあたかも物体に意志があるかのようであり、これは典型的な擬人主義である。科学教育の大きな目的は、この種の擬人主義を徹底除去するところにある(?)からして、この表現は容認しがたい。そういう趣旨で強硬に修正を求めたのだそうだ。
 さてさてどうなんだろう。この日頃、教育への関心を表明している次男君に、意見を聞いてみたいところかな。
 科学教育の目的は、擬人主義の排除にあるのかどうかが、無論ひとつのポイントである。
 ケストラー(Arthur Koestler、1905 - 1983)なる人物が、擬人主義 anthropomorphism をもじって擬鼠主義 ギソシュギ ratomorphism という言葉を創出したと、これも良いことを教わった。ケストラーはハンガリー生まれのユダヤ人で、後にイギリスに帰化している。
 これは精神医学関係者には、かなり大きな教訓的意義をもつことが直感される。文明論的な警句としても卓抜だ。科学一般には・・・え~っと、どいうことになるのかな、難しいな・・・

 村上氏がカトリックの信徒であることは存じ上げていたが、あらためてプロフィルを見たら三男の高校の先輩、次男にとっては大学の同学科の先輩にあたられるようだ。満78歳、ますますの御活躍を期待する。

***

 「長生殿」という銘菓がある。和三盆というのか、たいへん美味しく風味も口当たりもよい砂糖菓子だ。金沢の銘菓だが、松山のデパートで見つけて母が買いおいてくれた。
 これを見るといつも思い浮かぶ想定問答がある。

 たとえば僕の留守中、家族がこれをつまんでみたが、あまりに美味しいので全部食べてしまった。
 帰宅して空の箱を見た僕は、何と言ったでしょう?

 答え・・・「この恨み綿々として尽くる期(とき)なけん」

 出来た人、座布団2枚。
 答えを見ても意味の分からない人、『長恨歌』(白居易)を読み直すこと!


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