散日拾遺

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ヒマワリと二本の映画/ポツダム宣言

2013-07-26 07:54:04 | 日記
2013年7月25日(木)

S君からのメール:

おはようございます。小雨ですこしすごしやすい朝ですね。
今日7月25日のNHKラジオ朝の一句は
「大輪のヒマワリ仰ぎ先生と私と立って写っています」
(鳥海昭子)作。

ヒマワリはあなたはすばらしいという崇拝を表す花だそうです。
今日は一日伊勢崎で仕事です。よい一日でありますよう。
高崎線にて

*****

ヒマワリの花言葉は「讃仰」だったのか。

映画『ドクトル・ジバゴ』の中に、一面のひまわり畑を主人公が眩しげに眺めている場面がある。
ヒマワリがロシアの国花であることは、先日のフィギュア・スケーターの騒ぎで初めて知った。
調べてみると、これはロシア帝国からソビエト連邦の時代を経て、長く引き継がれているらしい。
映画の場面も、そのことを踏まえたものだったかと、今になって思いあたる。
主人公はソ連体制下では反革命的との烙印を押されたが、身重の恋人を亡命させながら自分は祖国に留まって、不遇の最期を遂げる。

この映画がアメリカとイタリアの合作とあるのが、不思議に思われる。
原作者はロシア(ソ連)人、監督と主演女優はイギリス人で、主演男優はエジプト出身、
イタリアの関わる要素がないのにといぶかったが、辿っていけばすぐに分かった。
ボリス・パステルナーク(1890-1960)による原作はソ連で発禁処分を受け、密かに持ち出されたイタリアで1957年に出版されたのである。
その流れでイタリアから映画化が発議され、アメリカで実現したのだろう。
1965年のことである。

原作の大河小説は直ちに大きな反響を呼び、1959年のノーベル文学賞にノミネートされたが、これはソ連共産党にとっては許容しがたいことだった。
「革命が人類の進歩と幸福に必ずしも寄与しないことを証明しようとした無謀な試み」
というのが同党の作品に対する公式の評価である。
党は原作者にノーベル賞辞退を求め、受賞すれば亡命を余儀なくされると考えた原作者は
「母国を去ることは、死に等しい」
と語って受賞を辞退した。
作品の主人公と同じ決断を下したわけである。

このことが、原作者よりもソ連体制にとって痛打となり続けたのは、ソルジェニーツィンやサハロフの場合と同様であっただろうが、波紋は常に複雑な絵を描く。
やや遅れて1964年、J.P.サルトルは『嘔吐』に対して贈られたノーベル文学賞を辞退した。
「いかなる人間も、生きながら神格化されるには値しない」
「ノーベル文学賞は西側の文化を意図的に擁護し、東西対立を推し進めている」
といった言葉が記憶されているが、後者に関連して
「『ドクトル・ジバゴ』に与えられ(ようとし)たノーベル賞を、受けるつもりはない」
と語ったとの話も、どこかで聞いた。
本当だとすれば、同様に辞退することによって相手に劣らぬ偉大さを演じてみせたとも、言えなくはなさそうだ。

なお、サルトルの場合は純然たる「辞退」であるのに対し、パステルナークはいったん受諾後にソ連政府の圧力を受けて辞退に転じ、かつ委員会側は一方的に賞を贈って後に遺族が受け取っているという。

ノーベル(平和)賞を辞退した人物が、歴史上にもう一人いる。

レ・ドゥク・ト、と聞いて「あっ!」という人は年がわかる。
僕はわかるよ、だって16歳かそこらだったからね。
レ・ドゥク・トはベトナムの政治家だ。
ベトナム戦争の停戦を取り決めたパリ協定での尽力に対し、ヘンリー・キッシンジャーとともに1973年のノーベル平和賞にノミネートされた。
しかし、レは「自国にまだ平和が訪れていない」と述べて賞を辞退している。
いっぽうのキッシンジャーは「ノーベル戦争賞の間違いではないか」と皮肉られ、辞退を申し出たが米国政府に容れられず、抗議行動を恐れて授賞式を欠席したとネット情報にある。
その後ベトナムでは戦闘が再開され、1975年に北側が武力で全土を統一した。

  

さて、「ひまわり」が連想させる映画をもう一本。

題名も『ひまわり』(1970年)、伊・仏の共同制作とあるが、これこそイタリア映画と称してもゆるされるだろう。
名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督のもと、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが、戦争によって引き裂かれた夫婦の悲しみを見事に演じた。
ラスト・シーン、ホームで列車を見送るヒロインが号泣する、すすり泣くのではなく身を裂くように号泣する、その場面が忘れられない。

当時としては異例のことに、ソ連政府がこの映画のための入国・撮影を許可している。
以下はWiki 情報。

「劇中幾度か登場する、地平線にまで及ぶひまわり畑の美しさと、もの悲しさが圧巻。
劇中に出てくる画面を覆いつくすひまわり畑は、ソ連ではなくスペインで撮影された。
一面のひまわり畑をソ連で撮影することは難しく、ひまわり畑の多いスペインでの撮影になった。」

ヒマワリとロシア/ソ連の結びつきを、この映画についても分かっていなかった。
もう、忘れない。



*****

2013年7月26日(金)

Mさんとメールをやりとりしていて、小豆島では「なぞる」ことを「えどる」と言うのだと教わった。
「絵取る」ということかな、感じの出た言葉だ。
瀬戸内から中国に広く分布しているらしい。

今日はポツダム宣言が発せられた日だという。
「受諾」の8月15日まで、どれほど長い20日間であったことだろう。

カトリックは受難節に「主の十字架の道行」をたどる。
これからの20日間、暑さを感じながらポツダム宣言の道行をしてみるのも意味があるかと思うが、今年はまだその準備がない。

さて、診療だ。

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1 コメント

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映画「ひまわり」 (勝沼)
2014-02-23 01:00:21
 明日(2014年2月23日)の夜8時からBS11で映画「ひまわり」が放送されます。録画して見てみます。
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