散日拾遺

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忘れ物 ~ ボードワン博士と上野公園

2013-07-30 22:17:53 | 日記
記録しておこうと思って、すっかり忘れていた。

7月6日(土)に「漱石の美術世界展」を見に行った。
S君の強い勧めがあってのことだが、漱石となれば見逃すわけにはいかない。

でも、記録しておきたいのはそのことではなくて、上野公園の中央の広場から西側の木立に入ったあたりにある、ひとつの胸像のことだ。

軍服姿の胸像の名が、「ボードワン博士 Dr. A.F.Bauduin」とある。
碑の文面をそのまま転記しておく。

オランダ一等軍医ボードワン博士は医学講師として1862年から1871年まで滞日した。
かつてこの地は、東叡山寛永寺の境内であり、上野の戦争で荒廃したのを機に大学附属病院の建設計画が進められていたが、博士はすぐれた自然が失われるのを惜しんで政府に公園づくりを提言し、ここに1873年日本初めての公園が誕生するに至った。
上野恩賜公園開園百年を記念し博士の偉大な功績を顕彰する。

名前の綴りや発音はフランス系を思わせるが、まぎれもなくオランダの軍医であったらしい。
幕末から明治初期まで激動の10年近くを日本で過ごし、オランダ医学の影響力がドイツ医学のそれにとって代わられる時期に日本を去っている。その人物にもむろん興味を引かれる。

同時に留意したいのは、彼がひとつの公園の建設に貢献しただけでなく、公園という思想を日本人に紹介する大役を果たしたことだ。
僕には山のことはよく分からないが、ウエストンが上高地を開いたという時、同じようなことが意識されているのではないか。

マレーシアに旅行した時、クアラルンプール近くの(あるいはペナン島の?記憶が定かでない)山の頂き付近にある快適な避暑地が、植民地時代のヨーロッパ人によって開かれたことを聞いた。
あたりには古来マレー人の王も豪族もいたわけで、そうした場所を開く力や富がなかったわけではない。避暑地という発想がなかったのである。

日常を離れて安息の時をもつことが贅沢ではなく必要に属するという発想、そのための場所を都市空間の中に制度的に設けようという思想、これらはすぐれてヨーロッパ的なものであり、僕らが学んでよいことのように思われる。

そしてここにも一人、近代日本の建て上げに貢献した「御雇い外国人」がいた。




漱石展自体は、S君の推奨だけあってとても良かった。
ただ、この美術館の小うるささには毎度辟易する。

ふと思いつくところがあって、手帳を取り出してメモしていたら、係員が目ざとく見つけて寄ってきた。
「それはボールペンですか?」
「そうですが」
「館内ではボールペンの使用をお控えいただいているので、どうぞこの鉛筆をお使いください」
ゴルファーなどが使う小さな鉛筆もどきを、御丁寧に貸与してくれた。

分からないんだな、これが。
展示品に傷をつけようと思えば、鉛筆だって十分な凶器になる。
それにボールペンの持ち込みを禁止するならともかく、使用をチェックするのはナンセンスというもので。

まあいいや、いろんな考え方があるもんだよ。

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