2020年5月29日(金)
「続き」へ進む前に、落ち穂を拾っておく。
● その1
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/93/073ec7bba5aa9430a11c27fc999bd5c8.jpg)
「誰かの小説に、都立大学駅周辺の様子を懐かしく描き込んだものがあった。題名に「恋」の字が含まれた、サスペンス仕立てのものだったように記憶するが、珍しくタイトルも著者も思い出せない。」
~ 1960年代前半の東急沿線
思い出した、というより、たまたま新聞か何かを眺めていて思い当たった。
小池真理子 『恋』 、第114回直木賞受賞作。
https://ja.wikipedia.org/wiki/恋_(小池真理子)
このタイトルは最初に浮かんだのに、amazon に「恋」とだけ入れるとコミックやらエッセイやらが溢れ出し、小池作品はどこかに埋もれて見つからないのである。著者名とあわせて検索したら、ようやくKindle版が出てきた。
手許に実物がないので件の描写を転記できないが、もちろん1960年代前半よりはずっと後の風景のはずである。
● その2
「許してください、不意にやってきたりして。でも、僕はあなたにお目にかからないでは、一日だって過ごせないんです」
彼は例によってフランス語でいった。それは、ふたりにとってたまらないほど冷たい響きをもつロシア語のあなたという言葉と、これまた危険なおまえという呼びかけを避けるためであった。
彼は例によってフランス語でいった。それは、ふたりにとってたまらないほど冷たい響きをもつロシア語のあなたという言葉と、これまた危険なおまえという呼びかけを避けるためであった。
(トルストイ『アンナ・カレーニナ』新潮文庫版(上) P.459)
ロシア語にもフランス語にも敬称と親称の別がある。それを踏まえて二つの言語にまたがる「使い分け」を駆使して見せた点で、最高の用例として推すべき一場面である。
~ キチイの克己、ヴロンスキーの苦心
読み進めていったら、以下のような場面に出会った。トルストイの十八番と見えるが、当時のロシアの作家には案外ありふれたテクニックだったのかもしれない。
彼(カレーニン)は妻に対する呼びかけの言葉を書かずに、フランス語で『あなた』という代名詞を用いながら、書いていった。この言葉はロシア語の場合ほど冷やかな響きをもっていなかったからである。
(前掲書(中) P.116-7)
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