2014年11月29日(土)
具膳飡飯 適口充腸
飡はサン、餐に同じ。
「膳をととのえ食事をするにも、口に適って腹を充たせば、それで十分ということらしい。
そりゃそうだろう。
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ほ乳類とりわけ人類は、中枢神経系を発達させることによって飛躍的な発展を遂げた。徹底的な中枢優位で、情報学だか何だかの立場からは欠点も指摘されているらしい。中枢の負担が重すぎること、中枢に故障が起きると全体の機能が麻痺することなど。これって現代社会のありようそのもので、ひたすら相互乗り入れを進めて全線一体化しつつある鉄道システムも、その一断面かと思われる。
ところで、地球進化の現段階で爆発的に成功しているのは、ほ乳類/人類だけではない。巨視的に見れば、昨今は節足動物とりわけ昆虫の時代とも言えるんだそうだ。彼らは神経系の発達に関して我々と対照的な路線をとっていて、中枢の機能集中をそこそこに止め、末梢の独立性を高く保っている・・・らしい。(半可通なので断言はしないでおく。)
ほ乳類型の中枢の発達は「知能」というスーパーウェポンを生み出し、知能は学習とその蓄積を可能にした。昆虫類はこの方向への発展可能性を断念し、環境適応はもっぱら生得的な「本能」に委ねている。既存のプログラムが不適応に陥ったときは、その世代内で修正することはさっぱりとあきらめ、プログラムのプールから適者生存のふるいによって新たなオプションを選び直す方式をとる・・・んだろうと思う。ほんとかな。
え~っと、ここで書き留めたかったのはそういう大それた話ではなくて、鉄道にせよ何にせよ、もう少し昆虫にならって末梢の独立性を活かした制御方式がとれないかということだ。個体としてのヒトは過剰な(?)中枢優位型にできてしまっているんだから、これをあらためるのは無理な話だし、そんな必要もない。しかしそういう身体条件をもたされているからといって、社会システムまでもこれに倣る必要はない。高度の中枢制御が常に善であり美であるというのは、思い込みに過ぎない。一神教すらこうした思い込みの延長上に置かれているとしたら、いささか無残な話である。
頭をつぶされても動いている昆虫の脚を見れば「気持ち悪い」と感じるが、中枢のコンピュータが麻痺してもローカル線が変わらず平常運行できるならば、それはたいへん気持ちのよいことだろうと思われる。
さて、自分の生活に引き寄せて言うと、どういうことになるんだろう?