6月27日(木)
代休の午前。
2週間ほってあった『男子の本懐』ハイライトとメモの転記。
◯ 著者・城山三郎の筆法に、「対位法」とでもいうような分かりやすい表現の妙がある。
たとえば下記。
「その浜口が、しみ入るような誠実さによって狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。」(2069-)
◯ 浜口・井上ともに歌心のあること、またともに妻と家族を非常に大切にしていること、印象的である。この時代、結婚は(恋愛を含まぬ)見合いであったことに留意したい。
E. フロムが「愛するということ The Art of Loving」の中で、愛は意志と創意によって作り出すものであって、互いの相性には(ほとんど)依らない、というようなことを書いていた。
現代人があらためてよくよく考えねばならないことだ。
春暁の別れなまめく古き妻(井上準之助)(2465)
宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)
◯ 浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
これ全編の白眉である。そして有名な下記の場面につながる。
医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)
◯ 浜口・井上らが全般的に過激とも思われる緊縮財政をとりながら、その中であえて「義務教育費の増額」(3082)を行っていることに注意を要する。
確か昨日のラジオニュースだが、政府予算に占める教育費の割合について日本はデータの得られるOECD加盟国中で『最下位』なのだ。これが恥でなくて何だろうか。
(註:読み直して冷や汗、「予算に占める割合」か、「国民一人当りの教育費」か、それともその他の指標だったか、正確に記憶していない。うろ覚えでものを言うものではないな。ただ、意味するところは変わらないはずだ。)
いわゆる「事業仕分け」の際に、例の高名な担当大臣がある地域の下水道整備計画を一言で切って捨てたことがある。「浄化槽でやってください」と。浄化槽がどんなものか、御存じでおっしゃってました?
国は何のためにあり、何のために税金を取ることを許されるのか。
「下水」に象徴される生活インフラを整え、人格形成の根幹である教育を保障するためではないのか。
『戦艦大和ノ最期』(吉田満)昭和49年のあとがきから。
「この手記をまとめることを思い立ったとき、二年間にわたる不毛の戦塵生活からのがれてきたばかりの弱冠二十二歳の私が、曲がりなりにもこの筆馴れない文体と修辞をもって全編を貫き得たことを、戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」
もう一度書くよ。
「戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」
◯ 軍政と軍令の軋轢のこと(3668)、足立謙蔵といった人物の存在(4503-)、昭和初年に日本の政治家自身が労働組合法や婦人参政権法を構想していたこと(4363-)など、知らないことばかりだ。
◯ 最期に、以下のやり取りは80年以上前のこととは思えない。
「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)
この一冊は、読んで良かった。掛け値なしだ。
***** 以下、抜き書き *****
6月11日(火)
「何でもないことだ、週末に静養すれば良い」(291-)
「現代の青年は余りに多く趣味道楽に耽って居るのではあるまいか」(323-)
日露戦争の戦費など(400)
・・・昭和初年になお、20年前の日露戦争の戦費が財政負担になっていたのだ。「後年度負担」の恐ろしさよ。
軍部の膨張(403)
本音なのだが、やはり記者たちには通じなかった。(459)
冷房はもちろん(475-)
『死線を越えて』や『英雄待望論』(530-)
宗教家になりたかった浜口(543)
神戸第一高等女学校(653)
使徒か伝道者の(655)
見渡せば酒も肴もなかりけり/裏だなめきし秋の夕暮(664-)
「明日伸びんがために、今日は縮むのであります。」(683)
がっぷり組んだ四つ相撲が得意である。(774-)
「男らしい人間になっておくれ」(802-)
「雲くさい」(824)
なるほど容貌は問題だが、男は顔ではない(837-)
剣客らしい気合いのこもった攻め(843-)
三高の移転(857)
「勉強を積むことである。とくに、これからの政治家は、なにより財政経済に明るくなくてはならぬと、」(897-)
養母が(944)
出戻り・・・(981)
高山樗牛(1001)
当時、大分の山奥と仙台とでは、外国に離れ住むほどの遠さがあり、新鮮さがあった。(1009)
なぐられること(1029)
井上のたのみには耳をかさなかったくせに、自分の都合で同居しに来る。(1093)
・・・註、実母のことだ。
虎の門女学館出身(1137-)
山形から松江へは(1160)
筋を通しながら、どちらの顔も立てるという井上式調停の一例である。(1373-)
1374の記載は、先行する逸話と両立しない。
早く帰ってあそべ、というのはない。日常業務から解放されて、個人の時間を持ち、大所高所に立つ勉強もせよ。そうして一人一人の質を高めることが、銀行のため、ひいては国のためになる、という考え方である。
こうして営業局には新風が立ち、同時に角が立った。(1422-)
・・・見たか聞いたか、この見識を!
白湯は沸騰点に達し、(1461)
「ナノヨ」(1668)
「ナイノヨ」(1669)
「・・・デホシイノネ」(1669)
「只健康ト家庭ノ楽シミサエアレバ」(1697)
「上品ニ愉快ニ」(1754)
「又ハ常ニ失敗シ苦シンデ一生終ル事モアル可キ乎。禅学ニ運鈍根ト・・・」(1783)
6月12日(水)
井上は古くても、設備が悪くても、とにかく大きな家を好んだ。(1866-)
杉や松など安い材料を(1889)
不運を拾いに行くような就任劇であった。(1927)
本物の純粋さ(1957-)
何彼と二人(2017)
浜口にとって、不遇はいまさらのことではなく、また恥ずべきことでも、心臆することでもなかった。この旧友からも、学べるものは学ぼう、という姿勢であった。(2022-)
もちもと強気の男が、外へ出て、さらに強くなることをおぼえた形で(2039-)
東洋文庫(2054)
・・・そうだったのか!
イギリスの(2054)
・・・モリソンは豪州出身ではなかったか?大学がイギリスなのだ。
その浜口が、しみ入るような誠実さによって、狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。(2069-)
「勉強は一生つきまとう。他のことは、いつでもできる」(2151)
井上らしく、人々が見守っている一番のティ・ショットだけはうまいが、あとは楽しみと健康のためのゴルフである。(2161-)
「こういう時は身辺を荘重にしなければいけない」(2246-)
泥色の熱湯(2259)
・・・註:関東大震災で日銀も火災に巻き込まれる。井上準之助は既に転出が決まっていたが、消防隊を率いて鎮火のため銀行内に入る。消防の放水が火炎とぶつかり、煮えたぎって落ちてくる様を著者がこう表現したのである。
これも、ある意味での「ワンシング・ワンス」(2271-)
このころから、井上と高橋は、政策的に反対の路線に立っていた(2289-)
・・・ここだ。
井上の車と、井上を追う後藤の車は、炎天下、罹災者の溢れている皇居前ですれちがった。(2296)
この日、閣議の終わったあと、井上は後藤をその私邸に尋ねて、あらためて意のあるところを述べ、言葉づかいなど失礼のあったことを詫びた。
そこがまた、井上らしいところでもあった。(2392-)
「世に貧乏ほど強きはなし」(2411)
「春暁の 別れなまめく 古き妻」(2465)
・・・早世した井上の長男は、何の病気だったのか?当時、若者の最も恐るべき病気は結核だったはずだが、やや経過が違うように思われる。家族愛の強い井上の心中、察するに余りある。(2530)
聞き上手(2544)
宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)
「憶良らは今はまからむ、子泣くらむ、それその母も吾を待つらむぞ」
「人生は込み合う窓口の列」(2564)
・・・「重荷を背負って坂道を上るがごとし」(家康・・・実は違うと言うが)と対比されるような。
「為すべき規律的の仕事を有しなかった為にか、精神が何となく弛緩してしまって、」(2618-)
「学究相手には、実務家としての見聞を話し、実業家相手には、理論的な見通しを話すなど、井上は自分の中に在る理論家・実務家・政治家の面を器用に使い分け、明快に、そして要領よく話した。」(2772-)
「常識」(2815)
「財界の世話でなく、日本の経済の世話をしたい」(2669)
義務教育費の増額(3082)
・・・!!!
記者はわかっていながら、わざとこういう論法で井上を責めてきたとしか思えない。(3318)
無産党がこぞって反対したこと(3329-)
・・・!
そこでも、国際平和の推進というだけでなく、各国民の負担軽減という見地から、(3364)
・・・これがせっかく、当時の国際社会の雰囲気であったのに・・・
岡田啓介(3580)
軍政と軍令(3668)
・・・この軋轢は、日本のシステムの得意な問題点を象徴するのではないか。
浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
・・・全編の白眉
委員長(3771)
・・・誰が、なぜ?
政治家は国民の平均的標準ではなく、国民の理想であるべきである。(3823)
遊行寺(3843)
・・・不況下に炊き出しが行われたのだ。今は箱根駅伝の中継で見る。
医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)
「なすことの 未だ終わらず 春を待つ」(4144)
6月13日(木)
井上は終始感情をおさえ、やじも怒号も一切耳に入らぬかのように、淡淡としゃべり続けた。(4224)
「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)
「私は総理大臣に対して一言の御慰労を申しあげたい。(中略)健康をこの上御回復せられんことを祈ります」(-4302)
・・・政敵浜口に贈る犬飼の挨拶である。しかし浜口の命数はまもなく尽き、犬飼も翌年同じ運命に見舞われる。
政府提出法案72件は、すべて衆議院を通過したが、その中、進歩的法案と見られた労働組合法案・小作法案については審議未了、婦人公民権法案は否決という形で、いずれも貴族院において葬られた。(4363-)
・・・何と、わが国独自の足取りでここまで来ていたのだ。あと一歩、それが遠かった。
内務省と足立内相(4366-)
元老筋が浜口内閣の財政や外交路線の持続を望んでおり、大命がふたたび民政党に降下するのは確実、(4381-)
・・・ではなかったわけだ。
「チェコスロバキヤでも、金解禁で大蔵大臣が殺られた」(4460-)
足立内相(4503)
・・・その後、どうなったのか?
→ 第二次若槻内閣の破綻をめぐって重要な役割を演じている。その後、民政党を離脱して国民同盟を結成。極東モンロー主義・統制経済を主張したが党勢を拡大することはできず、同盟は後に解党となる。内閣参議、大政翼賛会顧問などを経て、1942年政界を引退。1948年没。
足立謙蔵(1864-1948)、この人物に注目して戦前の政治を見直してみることは、たぶん意味がある。
リンカーンやウィルソンの(4598)
・・・理念に殉じたという共通点があるな。井上のイメージとはズレるように思うが。
トマト入りの味噌汁。(4624-)
・・・味噌汁かぁ、せめておすましでいきたい。
似たもの夫婦(4934-)
・・・というか、似てくる(きた)のだろう。幸せなことだよ。
一月五日からの「東京朝日」紙上で、井上は三回にわたって、「金の再禁止について」論じた。(4943-)
・・・熟読を要す。
以上
代休の午前。
2週間ほってあった『男子の本懐』ハイライトとメモの転記。
◯ 著者・城山三郎の筆法に、「対位法」とでもいうような分かりやすい表現の妙がある。
たとえば下記。
「その浜口が、しみ入るような誠実さによって狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。」(2069-)
◯ 浜口・井上ともに歌心のあること、またともに妻と家族を非常に大切にしていること、印象的である。この時代、結婚は(恋愛を含まぬ)見合いであったことに留意したい。
E. フロムが「愛するということ The Art of Loving」の中で、愛は意志と創意によって作り出すものであって、互いの相性には(ほとんど)依らない、というようなことを書いていた。
現代人があらためてよくよく考えねばならないことだ。
春暁の別れなまめく古き妻(井上準之助)(2465)
宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)
◯ 浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
これ全編の白眉である。そして有名な下記の場面につながる。
医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)
◯ 浜口・井上らが全般的に過激とも思われる緊縮財政をとりながら、その中であえて「義務教育費の増額」(3082)を行っていることに注意を要する。
確か昨日のラジオニュースだが、政府予算に占める教育費の割合について日本はデータの得られるOECD加盟国中で『最下位』なのだ。これが恥でなくて何だろうか。
(註:読み直して冷や汗、「予算に占める割合」か、「国民一人当りの教育費」か、それともその他の指標だったか、正確に記憶していない。うろ覚えでものを言うものではないな。ただ、意味するところは変わらないはずだ。)
いわゆる「事業仕分け」の際に、例の高名な担当大臣がある地域の下水道整備計画を一言で切って捨てたことがある。「浄化槽でやってください」と。浄化槽がどんなものか、御存じでおっしゃってました?
国は何のためにあり、何のために税金を取ることを許されるのか。
「下水」に象徴される生活インフラを整え、人格形成の根幹である教育を保障するためではないのか。
『戦艦大和ノ最期』(吉田満)昭和49年のあとがきから。
「この手記をまとめることを思い立ったとき、二年間にわたる不毛の戦塵生活からのがれてきたばかりの弱冠二十二歳の私が、曲がりなりにもこの筆馴れない文体と修辞をもって全編を貫き得たことを、戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」
もう一度書くよ。
「戦前の行き届いた国語教育の賜物として感謝したい。」
◯ 軍政と軍令の軋轢のこと(3668)、足立謙蔵といった人物の存在(4503-)、昭和初年に日本の政治家自身が労働組合法や婦人参政権法を構想していたこと(4363-)など、知らないことばかりだ。
◯ 最期に、以下のやり取りは80年以上前のこととは思えない。
「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)
この一冊は、読んで良かった。掛け値なしだ。
***** 以下、抜き書き *****
6月11日(火)
「何でもないことだ、週末に静養すれば良い」(291-)
「現代の青年は余りに多く趣味道楽に耽って居るのではあるまいか」(323-)
日露戦争の戦費など(400)
・・・昭和初年になお、20年前の日露戦争の戦費が財政負担になっていたのだ。「後年度負担」の恐ろしさよ。
軍部の膨張(403)
本音なのだが、やはり記者たちには通じなかった。(459)
冷房はもちろん(475-)
『死線を越えて』や『英雄待望論』(530-)
宗教家になりたかった浜口(543)
神戸第一高等女学校(653)
使徒か伝道者の(655)
見渡せば酒も肴もなかりけり/裏だなめきし秋の夕暮(664-)
「明日伸びんがために、今日は縮むのであります。」(683)
がっぷり組んだ四つ相撲が得意である。(774-)
「男らしい人間になっておくれ」(802-)
「雲くさい」(824)
なるほど容貌は問題だが、男は顔ではない(837-)
剣客らしい気合いのこもった攻め(843-)
三高の移転(857)
「勉強を積むことである。とくに、これからの政治家は、なにより財政経済に明るくなくてはならぬと、」(897-)
養母が(944)
出戻り・・・(981)
高山樗牛(1001)
当時、大分の山奥と仙台とでは、外国に離れ住むほどの遠さがあり、新鮮さがあった。(1009)
なぐられること(1029)
井上のたのみには耳をかさなかったくせに、自分の都合で同居しに来る。(1093)
・・・註、実母のことだ。
虎の門女学館出身(1137-)
山形から松江へは(1160)
筋を通しながら、どちらの顔も立てるという井上式調停の一例である。(1373-)
1374の記載は、先行する逸話と両立しない。
早く帰ってあそべ、というのはない。日常業務から解放されて、個人の時間を持ち、大所高所に立つ勉強もせよ。そうして一人一人の質を高めることが、銀行のため、ひいては国のためになる、という考え方である。
こうして営業局には新風が立ち、同時に角が立った。(1422-)
・・・見たか聞いたか、この見識を!
白湯は沸騰点に達し、(1461)
「ナノヨ」(1668)
「ナイノヨ」(1669)
「・・・デホシイノネ」(1669)
「只健康ト家庭ノ楽シミサエアレバ」(1697)
「上品ニ愉快ニ」(1754)
「又ハ常ニ失敗シ苦シンデ一生終ル事モアル可キ乎。禅学ニ運鈍根ト・・・」(1783)
6月12日(水)
井上は古くても、設備が悪くても、とにかく大きな家を好んだ。(1866-)
杉や松など安い材料を(1889)
不運を拾いに行くような就任劇であった。(1927)
本物の純粋さ(1957-)
何彼と二人(2017)
浜口にとって、不遇はいまさらのことではなく、また恥ずべきことでも、心臆することでもなかった。この旧友からも、学べるものは学ぼう、という姿勢であった。(2022-)
もちもと強気の男が、外へ出て、さらに強くなることをおぼえた形で(2039-)
東洋文庫(2054)
・・・そうだったのか!
イギリスの(2054)
・・・モリソンは豪州出身ではなかったか?大学がイギリスなのだ。
その浜口が、しみ入るような誠実さによって、狭い世界で深く知られ、井上は溢れるような奔放さで、広い世界で浅く知られていく。(2069-)
「勉強は一生つきまとう。他のことは、いつでもできる」(2151)
井上らしく、人々が見守っている一番のティ・ショットだけはうまいが、あとは楽しみと健康のためのゴルフである。(2161-)
「こういう時は身辺を荘重にしなければいけない」(2246-)
泥色の熱湯(2259)
・・・註:関東大震災で日銀も火災に巻き込まれる。井上準之助は既に転出が決まっていたが、消防隊を率いて鎮火のため銀行内に入る。消防の放水が火炎とぶつかり、煮えたぎって落ちてくる様を著者がこう表現したのである。
これも、ある意味での「ワンシング・ワンス」(2271-)
このころから、井上と高橋は、政策的に反対の路線に立っていた(2289-)
・・・ここだ。
井上の車と、井上を追う後藤の車は、炎天下、罹災者の溢れている皇居前ですれちがった。(2296)
この日、閣議の終わったあと、井上は後藤をその私邸に尋ねて、あらためて意のあるところを述べ、言葉づかいなど失礼のあったことを詫びた。
そこがまた、井上らしいところでもあった。(2392-)
「世に貧乏ほど強きはなし」(2411)
「春暁の 別れなまめく 古き妻」(2465)
・・・早世した井上の長男は、何の病気だったのか?当時、若者の最も恐るべき病気は結核だったはずだが、やや経過が違うように思われる。家族愛の強い井上の心中、察するに余りある。(2530)
聞き上手(2544)
宴会があっても、浜口は早く抜け出し、夕飯は家で家族といっしょにとるようにした。(2558-)
「憶良らは今はまからむ、子泣くらむ、それその母も吾を待つらむぞ」
「人生は込み合う窓口の列」(2564)
・・・「重荷を背負って坂道を上るがごとし」(家康・・・実は違うと言うが)と対比されるような。
「為すべき規律的の仕事を有しなかった為にか、精神が何となく弛緩してしまって、」(2618-)
「学究相手には、実務家としての見聞を話し、実業家相手には、理論的な見通しを話すなど、井上は自分の中に在る理論家・実務家・政治家の面を器用に使い分け、明快に、そして要領よく話した。」(2772-)
「常識」(2815)
「財界の世話でなく、日本の経済の世話をしたい」(2669)
義務教育費の増額(3082)
・・・!!!
記者はわかっていながら、わざとこういう論法で井上を責めてきたとしか思えない。(3318)
無産党がこぞって反対したこと(3329-)
・・・!
そこでも、国際平和の推進というだけでなく、各国民の負担軽減という見地から、(3364)
・・・これがせっかく、当時の国際社会の雰囲気であったのに・・・
岡田啓介(3580)
軍政と軍令(3668)
・・・この軋轢は、日本のシステムの得意な問題点を象徴するのではないか。
浜口の中の「無量の蛮性」が、いま静かに爆発をはじめていた。(3754-)
・・・全編の白眉
委員長(3771)
・・・誰が、なぜ?
政治家は国民の平均的標準ではなく、国民の理想であるべきである。(3823)
遊行寺(3843)
・・・不況下に炊き出しが行われたのだ。今は箱根駅伝の中継で見る。
医師が思わず、
「総理、たいへんなことに」
とつぶやくと、浜口はうすく目を開けていった。
「男子の本懐です。」(-4012)
「なすことの 未だ終わらず 春を待つ」(4144)
6月13日(木)
井上は終始感情をおさえ、やじも怒号も一切耳に入らぬかのように、淡淡としゃべり続けた。(4224)
「金が無いからどうにも仕事をしないというなら、大蔵大臣はだれにでもできる。」と三上忠造。
「公債を発行する、借金はする、剰余金はつかってしまうというような大蔵大臣なら、お安いことだ」と井上準之助。(4227-)
「私は総理大臣に対して一言の御慰労を申しあげたい。(中略)健康をこの上御回復せられんことを祈ります」(-4302)
・・・政敵浜口に贈る犬飼の挨拶である。しかし浜口の命数はまもなく尽き、犬飼も翌年同じ運命に見舞われる。
政府提出法案72件は、すべて衆議院を通過したが、その中、進歩的法案と見られた労働組合法案・小作法案については審議未了、婦人公民権法案は否決という形で、いずれも貴族院において葬られた。(4363-)
・・・何と、わが国独自の足取りでここまで来ていたのだ。あと一歩、それが遠かった。
内務省と足立内相(4366-)
元老筋が浜口内閣の財政や外交路線の持続を望んでおり、大命がふたたび民政党に降下するのは確実、(4381-)
・・・ではなかったわけだ。
「チェコスロバキヤでも、金解禁で大蔵大臣が殺られた」(4460-)
足立内相(4503)
・・・その後、どうなったのか?
→ 第二次若槻内閣の破綻をめぐって重要な役割を演じている。その後、民政党を離脱して国民同盟を結成。極東モンロー主義・統制経済を主張したが党勢を拡大することはできず、同盟は後に解党となる。内閣参議、大政翼賛会顧問などを経て、1942年政界を引退。1948年没。
足立謙蔵(1864-1948)、この人物に注目して戦前の政治を見直してみることは、たぶん意味がある。
リンカーンやウィルソンの(4598)
・・・理念に殉じたという共通点があるな。井上のイメージとはズレるように思うが。
トマト入りの味噌汁。(4624-)
・・・味噌汁かぁ、せめておすましでいきたい。
似たもの夫婦(4934-)
・・・というか、似てくる(きた)のだろう。幸せなことだよ。
一月五日からの「東京朝日」紙上で、井上は三回にわたって、「金の再禁止について」論じた。(4943-)
・・・熟読を要す。
以上