散日拾遺

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2月5日 『タルチュフ』公演許可(1669年)

2024-02-05 09:29:15 | 日記
2024年2月5日(月)
 
> 1669年年2月5日、フランスの劇作家モリエールの最高傑作『タルチュフ』は、初演からほぼ5年たったこの日に、ようやくルイ十四世から公演を許された。
 『タルチュフ』は、パリの町民オルゴンに取り入って、この家の娘と結婚し、同時にオルゴンの若い後妻にも通じようとするニセ信仰家タルチュフを主人公と する五幕ものの喜劇である。
 1664年に最初の三幕だけが王の前で初演されたが、偽善的信者タルチュフを徹底的にこき下ろした内容が、当時絶大な権力を握っていたイエズス会系の「聖体秘蹟協会」の怒りを買い、ただちに上演禁止処分を受けてしまう。67年に『ペテン師』と名を変えて上演するが、またもや一日で上演禁止となり、69年にようやく上演許可が下りたのだった。公演は大人気となり、当時としては異例の28回も連続して行われ、多数のパリ市民が押しかけた。
 その後も、モリエールは宗教的偽善や貴族の愚行を描き続け、『ドン・ジュアン』『人間嫌い』『スカパンの悪だくみ』などの傑作を残した。モリエールの死後、彼の一座はライバルのオテル・ド・ブルゴーニュと合併するが、これが現在の国立劇場コメディ・フランセーズの前身となった。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.41


ニコラ・ミニャールによるモリエールの肖像画

> モリエール(フランス語: Molière)として知られるジャン=バティスト・ポクラン(Jean-Baptiste Poquelin、1622 - 1673)は、ブルボン朝時代の俳優、劇作家。ピエール・コルネイユ、ジャン・ラシーヌとともに古典主義の三大作家の一人。鋭い風刺を効かせた数多くの優れた喜劇を制作し、フランス古典喜劇を完成させた。(Wikipedia)

 これは嬉しいこと、ちょうど二か月ほど前に『タルチュフ』を読み、当ブログに書き留めたところだった。
 ⇒ 「文学への信頼」https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/ead68c68316996ba38690e11688a54ea

 追加することもないが、あらためて面白く感じるのは「イエズス会系の団体の怒りを買った」という点である。モリエールが作中でこきおろしているのは篤信を装うペテン師なのだから、真面目な聖職者たちは作者を褒め感謝してよいところ、これを禁圧しにかかることによって、かえって自分らがタルチュフの輩であることを疑わせ、自ら公言することになってしまう。
 もちろん、そこにはまた別の仔細がある訳で、同様のことは権威と権力のある全てのところで日々起き続けているだろう。1600年代という時代を考えれば、作者が火あぶりにされず監獄にも入れられず、5年ほどで公演が許可されたブルボン朝の寛容の方にこそ注目すべきかもしれない。
 なお、こうした作品で槍玉にあがるのは、当然ながら当代において権威ありとされている人々で、そうでなければ風刺の意味がない。特にフランスではモリエールからドーミエに至るまで、聖職者、法律家、そして医者が好餌と見受けられる。
 上掲書では紹介されていないモリエールのもう一つの傑作が、『いやいやながら医者にされ』である。モリエールは51歳で亡くなっているようだが、今日から見て短命に終わった理由は医者嫌いのせいか、それともヤブ医者に誤った治療を施されたためだったか。


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