散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

優生保護法に関する声明(日本精神神経学会)

2024-02-01 21:00:00 | 日記
2024年2月1日(木)

 本日付で日本精神神経学会が下記の声明を公表した。
 ここに記された出来事に加担せずに済んだのは、遅れてきた世代の僥倖に過ぎない。同学会の一員として、謝罪と誓いを共にする所存。

***

優生保護法に関する声明
2024年2月1日
公益社団法人 日本精神神経学会
理事長 三村 將

 1948年に成立した優生保護法は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とし、当時の優生学・遺伝学の知識の中で遺伝性とされた精神障害・知的障害・神経疾患・身体障害を有する人を、優生手術(強制不妊手術)の対象とし、48年間存続しました。しかし日本精神神経学会(以下、本学会)は、これまで優生法制に対して、政府に送付した「優生保護法に関する意見」(1992年)を除き、公式に意見を表明したことがありませんでした。このたび本学会は、法委員会において、優生保護法下における精神科医療及び精神科医の果たした役割を明らかにし、本学会の将来への示唆を得ることを目的として、数年にわたる調査を行いましたので、ここに報告します。
 詳細な調査結果は報告書にありますが、自治体によって違いがあるものの、優生保護法成立からほぼ10年にわたり、行政主導で強制不妊手術の申請と承認に関わる強固なシステムが作り出されました。人口が急増し、生活が窮乏するこの時代において、行政と優生保護審査会が一体となって優生保護法を運用し、多数の強制不妊手術という犠牲を生みました。申請者である精神科医の肉声は残されていませんが、国家施策を前にした傍観の中で、無関心・無批判のまま、与えられた申請者としての実務を果たしてきました。また、精神科医も加わった優生保護審査会は、申請システムの実態を知った上で大部分の申請を承認しており、申請者以上に重い責任があります。
 本学会は強制不妊手術の問題が指摘された1970年代に至っても公式に意見を表明することもなく、不作為のまま優生保護法は存続し、被害者を生み続けることにつながりました。積極的であろうが消極的であろうが、強制不妊手術を受けた人々に取り返しのつかない傷を負わせた歴史的事実から目を逸らすことは許されません。
 ここに、精神科医療に責任を持つ学会として、強制不妊手術を受けた人々の生と人権を損ねたことを被害者の方々に謝罪いたします。
 優生保護法を過去のこととしてすますことはできません。本学会は、この歴史に学び、再び同じことが繰り返されないよう、精神医学と社会の関係を深く自省し、常に自らの問いとしていかなければなりません。さらに、本学会の使命として、現在もなお存在する精神障害や知的障害への差別、制度上の不合理を改革するため、力を尽くすことを誓います。

Ω

2月1日 『ラ・ボエーム』初演(1896)

2024-02-01 03:35:11 | 日記
2024年2月1日(木)

> 1896年2月1日、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」が、トリノの王立劇場で初演された。指揮者は王立劇場音楽監督に就任したばかりの28歳のトスカニーニであった。実はプッチーニはこの劇場の音響設備に不満があってここでの初演を望んでいなかったのだが、王立劇場の経営者がプッチーニの意向に沿った形でホールを改築して、この日の初演となった。
 「ラ・ボエーム」はプッチーニの四作目のオペラで、原作はミュルジュールの「ボヘミアン生活の情景」である。同じ作品をレオン・カヴァッロもオペラにしているが、初演はプッチーニの方が先だった。
 「ラ・ボエーム」の作曲がすべて完成したのは1895年12月10日の真夜中であった。ヒロイン、ミミの死の場面では、感動に堪え切れず泣きながら書いたという。この愛着ある作品の完成を祝って、プッチーニは仮装舞踏会まで開いた。
 しかし初演の日、客席は大入りだったにもかかわらず、観客が熱狂する場面は多くはなく、批評家たちも総じて辛口であった。失敗ではないが、大成功でもないというのだ。状況が変わったのは二か月後、パレルモの公演だった。熱狂した観客の求めに応じて、第三幕をもう一度上演せざるを得なかったほどの好評を博したのである。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店) P.37

Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini(1858 - 1924)
Wikipedia より

 終幕は泣かずに聞けない、見られない。
 こっちの方がいい、第1幕のアリア 『わたしの名はミミ』
 邦題とは違って「みんな私をミミと呼びます、でも私の名はルチアです」と歌われる。
 「私の話は簡単です。ひとりでお昼ご飯をつくって食べます、ミサには毎回はいきません。でも、神様にはたくさんお祈りします…」
 だめだ、これでも泣いてしまう。この方がよけい泣くかも

 i fior ch'io faccio, ahimè! non hanno odore.
私の造る花は、ああ!香りがないのです

Ω