散日拾遺

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読書メモ: マーク・トウェイン『不思議な少年』(The Mysterious Stranger - A Romance))

2015-08-20 08:57:57 | 日記

2015年8月20日(木)

 読んだ順番とか気にしているとメモも取れないので、昨夕から今朝にかけて一気に読み抜けたこの作品のことを、まず書き留めておく。

 サミュエル・クレメンス(1835年~1910年、筆名マーク・トウェイン)は、ともかくせっせと書く人だったという。ハレー彗星接近の年に生まれ、次の接近の年に他界した。満75歳は当時として大いに長命だが、その人生は平坦ではない。作風としても1890年代には、驚くほどペシミスティックに傾いたこと、案外知られていないかと思う。その時期を代表する作品ながら、改稿を繰り返した末、結局生前には未完に終わり、没後にさまざまな「編集」が加わって物議を醸すなど、問題含みの一書である・・・などということは、すべて「あとがき」で知った。読む間はひたすらに空恐ろしいような作品で、16世紀オーストリアの小村を舞台に「魔女狩り」の実相をつぶさに描き出すなど、背筋が寒くなる。驚くべき了解力で、たぶん「魔女狩り」とはこういうものだったのだ。

 今後くり返して読み直すことになるだろうから、さしあたり一部を書き抜くことで記録に代える。いろいろな点で同じ作家の "the War Prayer" を想起させるが、魔女狩りと戦争に通底する心理を鮮やかに剔抉し、広がりは一段と大きい。少年サタンの「神学」には、深淵を覗き込まされる思いがする。

 つくづく驚くべき作家である。

 

***

 こうして、わたしたちは帰っていったが、わたしの心は重かった。そして、わたしはひそかに思った。「サタンのやつ、あの連中を笑ったのだと言ったが、あれはきっと嘘だ ー 笑われてたのはこのぼくなんだ」

 ところが、またサタンが大笑いをして言うのである。「そうだとも。君のことを笑ったんだよ。だって、考えてもみろ、君はね、他人(ひと)にどう言われるか、そればかりびくびくして、現に心の中じゃ、いやだ、いやだと思いながら、あの女に石を投げたんじゃないかね。もっとも、ぼくはほかの連中のことも笑った」

 「なぜだね?」

 「やはり君と同じだったからさ」

 「どういうことだね、それは?」

 「そうさ、あそこには68人の人間がいたろ。そのうち62人までは君と同じだった。石なんか投げたくなかったんだよ」

 「まさか、君!」

 「いや、そうなんだ。ぼくは人間ってものをよく知ってる。羊と同じなんだ。いつも少数者に支配される。多数に支配されるなんてことは、まずない、いや、絶対にないと言ったほうがいいかもしれんな。感情も信念も抑えて、とにかくいちばん声の大きなひと握りの人間について行く。声の大きな、そのひと握りの人間というのが、正しいこともあれば、まちがっていることもある。だが、そんなことはどうだっていいんで、とにかく大衆はそれについて行くのだ。もともと大多数の人間ってものはね、未開人にしろ文明人にしろ、腹の底は案外やさしいものなんで、人を苦しめるなんて、ほとんどできやしないんだよ。だが、それがだよ、攻撃的で、まったく情け知らずの少数者の前に出ると、そういう自分を出しきる勇気がないんだな。考えてもごらんよ。もともとは温かい心の持主の人間同士がね、お互いにスパイし合っては、心にもないひどい悪事に、いわば忠義立てして手をかしてしまうんだな。わざわざ心がけてだよ。その辺、ぼくはよく知ってるから言うんだが、ずっと昔ほんのわずかな狂信者どもが、はじめて魔女狩りなんて馬鹿げたことを煽り出したときにもね、まず百人のうちの九十九人までは猛烈に反対した。そして今でもだ、ずいぶんと長くつまらん偏見や馬鹿げた教えがつづけられてきているわけだが、それでも、本当に心から魔女狩りをやろうなんて考えのものは、せいぜい二十人に一人くらいだろうな。そのくせ、表面だけを見ると、まるですべての人間が魔女を憎み、殺したがっているかのように見える。だが、いつの日にかだよ、ごくひと握りの人間でいいから、もし魔女の味方になって立ち上がり、大声でわめき立てるとする ー いや、大きな声の持主で、勇気と決意のある人間なら、一人だっていい ー 反対を叫び出せばね、おそらく一週間もすれば、羊の群れは一頭のこらず廻れ右をして、その男のあとについて行くにきまってる。魔女狩りなんて、あっというまいなくなってしまうと思うな。

 「君主制も、貴族政治も、宗教も、みんな君たち人間のもつ大きな性格上の欠陥、つまり、みんながその隣人を信頼せず、安全のためか、気休めのためか、それは知らんが、とにかく他人によく思われたいという欲望、それだけを根拠に成り立ってるんだよ。そりゃ、そうした制度は、永久につづくだろうさ。つづくどころか、いよいよ栄え、いよいよ君たちを圧迫し、侮辱し、堕落させることだろうよ。だが、それは君たちが相変わらず、いつまでも少数者の奴隷になっているという、ただそれだけのことが原因なんだな。そうした制度に人民の大多数が心の底から信服してる国なんて、けっしてなかったからね」

 (中略)

 「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。ぼくは百万年後だって見通せるが、この原則のはずれるなんてことはまずあるまいね。いても、せいぜいが五、六人ってところかな。いつも決まって声の大きなひと握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ。鈍い目を眠そうにこすりながら、なぜ戦争などしなければならないのか、懸命になって考えてみる。」

 (中略)

 「するとまもなく奇妙なことがはじまるのだな。まず戦争反対の弁士たちは石をもって縁談を追われる。そして凶暴になった群衆の手で、言論の自由は完全にくびり殺されてしまう。ところが、面白いのはだね、その凶暴な連中というのが、実は心の底では相変わらず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだな ー ただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。さて、そうなると、もう全国民 ー そう、教会までも含めてだが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫びだす。そして、あえて口を開く正義の士でもいようものなら、たちまち蛮声を張り上げて、襲いかかるわけだね。まもなく、こうした人々も沈黙してしまう。あとは政治家どもが、安価な嘘をでっち上げるだけさ。まず被侵略国の悪宣伝をやる。国民は国民でうしろめたさがあるせいか、その気休めに、それらの嘘をよろこんで迎えるのだ。熱心に勉強するのはよいが、反証については、いっさい検討しようともしない。こうして、そのうちには、まるで正義の戦争ででもあるかのように信じこんでしまい、まことに奇怪な自己欺瞞だが、そのあとではじめて、ぐっすり安眠を神に感謝するわけだな」

(中野好夫訳 岩波文庫版『不思議な少年』 P.195-200)