2015年8月6日(木)
松井市長のよく通る声が、核兵器を「絶対悪」と断じた。
「広島をまどうてくれ」という言葉を初めて知った。「まどう」は広島弁だろうが、伊予弁にもある。「もとにもどす」と市長は言い換えた。古語辞典には「償(まど)ふ」の語が用例とともに掲げられ、「つぐなう、弁償する」と解説されている。古語が中央で廃れ、地方に残るパターンの一例であろう。
償いようのないできごとの連鎖の末に、他の何にも増して償いようのないできごとが起きた。その記念の日であり、祈念の日である。
数日前のラジオで、NHK放送文化研究所が行った「意識調査」の結果が報道されていた。ネットで検索したら出てきたので、下記に貼り付けておく。ただ、ラジオ放送で最も衝撃的であった部分が、下記ではぼかされている。解釈が難しく議論にもなりかねないので、敢えて明記しなかったものだろうか。
「僕の記憶が正しければ」という甚だ疑わしい注釈付きでだが、「やむを得なかった」との回答が現地では全国平均より低いに違いないというこちらの予測に反し、「許せない」よりも「やむを得なかった」が ~ 確か広島で ~ 多かったと放送されたはずだ。
「許せない」と「やむを得なかった」は対として適切か、「許せない」とはどういう意味で、「やむを得ない」とはどういう意味か、話は簡単には進まない。日付を正答できないのは関心を(少ししか)もっていない証拠で、そういう層であれば「やむを得ない」という反応も当然増えるだろう。とはいえ、「絶対悪」なら「やむを得ない」とは言えない理屈である。
よく見たら、下記のページに調査報告の本文が pdf 添付されている。A4判13頁、ざっと見ただけだが、上記のアブストラクトでは到底うかがい知れない子細がいろいろと読み取れる。たとえば「許せない」と「やむを得ない」の比率には顕著な性差がある。若い世代では原爆投下日の正答率が低いけれども、核兵器の保有・使用を「否」とする割合はきわめて高い。その他いろいろ。
印刷して、夏休みの宿題とする。
*** 原爆投下から65年 消えぬ核の脅威 ~「原爆意識調査」から~ ***
2010年10月「放送研究と調査」目次へ/本文(2,265KB)
広島と長崎に原子爆弾が投下されてから今年で65年。放送文化研究所では、広島局、長崎局と共同で今年6月に「原爆意識調査」を行いました。調査では、「原爆の日」の日付を正確に言えるかどうかや、原爆投下の受け止め方などの質問に加えて、核兵器廃絶の是非や核兵器テロの脅威についても尋ねました。こうした原爆や核をめぐる人々の意識には、被爆地である広島・長崎と全国で違いがみられるのでしょうか。分析結果を報告します。
「広島原爆の日」を正しく答えた人は、広島の70%に対して全国は23%、また「長崎原爆の日」を正しく答えた人は、長崎の64%に対して全国は23%という結果で、広島・長崎と全国で大きな差が見られました。しかし、20~30代の正答率は、広島52%、長崎54%で、若い年代の2人に1人は、自分が住む街にいつ原爆が落とされたのか、正しく認識していませんでした。
原爆が投下されたことについて、「いまでも許せない」と考える人は、広島、長崎、全国とも半数程度を占めました。これに対して「やむを得なかった」という人は、広島、長崎、全国とも4割程度でした。
核兵器の今後については、「今よりは減るが、それほどは減らない」という人が最も多く、広島、長崎、全国いずれも半数を超えました。核兵器が「完全になくなる」という人は、広島、長崎、全国とも1~2%とわずかでした。
さらに、近い将来、世界のどこかでテロリストが核兵器を使う危険性が「ある」(「少し」+「かなり」)と考える人は、広島、長崎、全国とも7割を超えました。
核大国であるアメリカのオバマ大統領が去年、「核兵器のない世界を目指す」と明言して注目されましたが、今回の調査からは、核の脅威はなくなってはいないという人々の厳しい認識がうかがえます。
世論調査部(視聴者調査) 西 久美子
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/social/047.html