明治元年、政府から出された「神仏判然令(神仏分離)」までの約千年は「神仏習合」という信仰体系をとっていた。神道と仏教、神と仏、神社と寺院が融合していた。
明治維新後、神仏判然令によって分離したものの、いまでもその痕跡を見るとこができるのが高野山奥の院の参道付近。弘法大師御廟までの参道には、それは数多くの戦国大名などの墓石や供養塔に鳥居が建てられている。まさに神仏習合時代の名残である。
写真で見てお分かりのように時間(とき)の経過を感じさせる雰囲気がある。不思議な空気をもつ自然界をつくり上げている。スタジオジブリ作品に出てきそうな背景を思わせる。日常世界では想像もできないストーリーが生まれてきそうである。
違和感があるものの、その当時の現象がいまも存在する不思議な山上の聖地である。
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