31日、京都八坂神社で、鳥居に大茅輪を設け、参拝者はこれをくぐって厄気を祓い、また「蘇民将来来之子孫也」の護符を授かる「疫神社夏越祭」の行事をもって今年の祇園祭は幕を下ろす。3年ぶりに復活した山鉾巡行で夏の京の街は盛り上がった。
31日、京都八坂神社で、鳥居に大茅輪を設け、参拝者はこれをくぐって厄気を祓い、また「蘇民将来来之子孫也」の護符を授かる「疫神社夏越祭」の行事をもって今年の祇園祭は幕を下ろす。3年ぶりに復活した山鉾巡行で夏の京の街は盛り上がった。
明後日は七夕。幼少期の行事では欠かせない楽しみ。短冊に願いを込めて笹に吊り下げる。そんな光景が幼稚園・保育園ではいまもよく見られる。
七夕は、もともと中国の伝説がストーリー化された乞巧奠(きっこうでん/行事)だといわれている。この行事は7月7日に、はた織りが上手な織姫にあやかって、「はた織りや裁縫が上手になりますように」と祈願する風習から生まれたもの。また、男の仕事である農耕の象徴である牽牛の男女が一対で神格化され後世に伝承されてきた。それが星座にも反映されたといわれている。
真夏の風物詩である七夕(乞巧奠)が「袋中菴 幻の花写真集」の中に掲載されている。その七夕を "夏の茂り第三小節"として「乞巧奠」と「畳の花」、そして「夏の夕」の三作品について写真集解説文を参照に紹介する。
まず「乞巧奠」
七夕は7月5日の午後から棚を作り始める。青竹に五色の糸と梶の葉を吊るし、棚の中央に流した帯ひと筋の上に瓶子一対を、そして茄子や瓜などの旬のものを供え、鼓や雛琴、笙などを飾る。華やかな夏に涼やかな風情を感じる乞巧奠の飾り
畳の花
畳を滑る一陣の風。少しの涼感が心地よさを感じさせる。盆は形、質、塗り、色と多彩。これを水盤として敷板花台に見立てるのは山階御流の定法。真紅の鶏頭、紫の龍胆(りんどう)が薄(ススキ)の葉の裾で生き生きと映える
夏の夕
夏の打水は涼感をそそる。さりげなく生けられた花もまた、心の打水のような爽快感を見る者にあたえる。井戸の周りならなおさら。笊の中で、黄色のルドベキアとピックの松明草、紫の龍胆のそばで、硝子鉢に深紅のバラ一輪が映える
リポート/ 渡邉雄二 写真/ 袋中菴 幻の花写真集より複写転載 解説/ 袋中菴 幻の花写真集を参照 花匠/ 賀幡圓定師(袋中菴 山階御流六世家元)
「袋中菴 幻の花」シリーズで夏の茂りの第二小節では “迎え花”、“便り花”、“神に捧げる花”などを紹介する。
ここに記載している写真や解説文は、「幻の花写真集」でまとめられたものを参照し掲載していることをあらかじめご了承いただきお読みください。
日本の暮らしに根付く「おもてなし」は、日本文化から生まれた独特のお迎えのマナーとして伝わっている。お客様をお迎えする表現方法は言葉以外にもいくつかある。そのひとつが「花」である。季節の花や、花を入れる花器、そして花や花器の色彩で迎えることにより、迎える人の人柄が出て楽しい。そんな細やかなお迎えが「日本文化の原点」のような気がする。
一生に何度も会えないかもしれない、と思うと人を迎える気持ちが改まる。この一瞬のときを迎えるために装う花がある。
また、何気のない日常のなかに華を一輪置くことで、心に物質以外の別の感情が生まれてくるから不思議だ。手紙を入れておく文箱の横に花が一輪添えられていると、なかの手紙の内容が偲ばれる。まさに偲ぶ花になる。
花も命あるもの。言葉はないが美しい形や色、そして香がある。それを生かすのは人であるが、花によって人の心が生かされていることを忘れてはなるまい。
百合流し帯 白い百合の流し帯で涼感を視覚的に表現された待合の花
桜桃に可愛らしいがく紫陽花の可憐さが漂う
一期一会と思いながら人を迎える。その一瞬の花として装う
何気ない日常に一輪添えると形からでは見えないものが浮かぶ
花と花がつなぎあって花を咲かす。人もそうでありたい
もうすぐ葵まつり。ひそかに神に捧げる葵
リポート&写真/ 渡邉雄二 写真/ 写真集複写し転載 参照・転載/ 「袋中菴 幻の花」写真集
尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/