ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

曼荼羅の世界を楽しむ。【高野山シリーズⅤ】 

2020-05-30 16:53:38 | 有形文化財

高野山の壇上伽藍の金堂には本尊の薬師如来像の左右に、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の二幅一対の両部曼荼羅図が掛けられている。その両部曼陀羅は、日本密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地、つまり弘法大師・空海が創造した真言密教の奥義を視覚的に表現したものである。

薄暗い金堂内でじっくり拝見させていただいたが、前日まで霊宝館で公開されていた「血曼荼羅」は、残念ながら見ることは叶わなかった。血曼荼羅とは、平家の大将、平清盛が、自らの額から出た血を絵具に混ぜ込み、胎蔵曼荼羅の中心にある大日如来像の宝冠部分に塗ったことから血曼陀羅といわれるようになった。正式名は「絹本著色両界曼荼羅図」という。

この両部曼陀羅図に関心を寄せ、般若心経と組み合わせた独自の曼陀羅絵図を描いているが、あくまでも真似ごとに過ぎない。しかしながら、なにも無い時空へたどり着く一筆になれば、と。

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壇上伽藍金堂で読経が響く。 【高野山シリーズⅣ】

2020-05-29 17:03:53 | 文化想造塾「神社仏閣」

3年前の秋分の日、高野山に登った。
どこのお寺さんでもこの日は彼岸会が行われる。ここ高野山でも壇上伽藍の金堂で彼岸会の読経が響いていた。たまたま金堂の入口で多くの信者さんが、その読経を聞きながら手を合わせていた。筆者もその片隅で皆さんと同じように手を合わせた。声明(しょうみょう)を聞くが如く、読経が体内に沁みわたるようだった。


金堂前の椅子に腰をかけている一人の僧侶が目に入った。穏やかな表情で私を見つめているので声を掛け、しばし歓談させていただいた。人を受け容れる包容力が笑顔から溢れていた。タイの仏教僧で、数日間、高野山に研修で滞在しているとのことだった。



日常にない時空に身を置くとなぜか心がウキウキする。そういう場所がいくつかあるというのは幸せである。

 

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神仏習合のなごり。 【高野山シリーズⅢ】

2020-05-28 16:58:04 | 文化想造塾「神社仏閣」

明治元年、政府から出された「神仏判然令(神仏分離)」までの約千年は「神仏習合」という信仰体系をとっていた。神道と仏教、神と仏、神社と寺院が融合していた。
明治維新後、神仏判然令によって分離したものの、いまでもその痕跡を見るとこができるのが高野山奥の院の参道付近。弘法大師御廟までの参道には、それは数多くの戦国大名などの墓石や供養塔に鳥居が建てられている。まさに神仏習合時代の名残である。


写真で見てお分かりのように時間(とき)の経過を感じさせる雰囲気がある。不思議な空気をもつ自然界をつくり上げている。スタジオジブリ作品に出てきそうな背景を思わせる。日常世界では想像もできないストーリーが生まれてきそうである。

違和感があるものの、その当時の現象がいまも存在する不思議な山上の聖地である。

 

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奥の院、まさに自然界曼荼羅。 【高野山シリーズⅡ】

2020-05-26 16:27:14 | 文化想造塾「神社仏閣」

高野山はご承知のとおり、唐の都・長安で真言密教の教えを受けた弘法大師空海が816年に開創したところ。2004年に世界遺産に登録された日本を代表する山上聖地である。


今回は電車とケーブルカーを利用して登った。ケーブルカーの高野山駅からバスで金剛峯寺へ、そして奥の院を目指した。終点の奥の院前の2つ手前の奥の院口で下車、目指す弘法大師御廟まで歩いて2キロという一つ橋から杉の木に囲まれている参道を歩いた。


この参道に入ると、山の聖地を思わせる空気を肌で感じる。天に伸びる樹齢数百年の杉木立の樹海の空気である。参道の左右には、戦国時代の武将の供養塔が並ぶ。「中の橋」を渡りさらに「御廟橋」を越えるといよいよ高野山の奥之院弘法大師御廟がある。

奥の院に到着するまでに身が清められていくようである。
自然界の曼荼羅をこの目で見たようだった。

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水は、科学と宗教の両視点で。 【高野山シリーズⅠ】

2020-05-24 17:10:12 | 文化想造塾「神社仏閣」

先日、比叡山延暦寺を紹介したが、その “比叡山” と “高野山” はいつも宗教事象として対比の的になる。理解するには困難かもしれないが、周辺の情報を知ることだけでも響くものがある。

昨年、高野山大学主催の講演会を聴きに行った。テーマが「宇宙の摂理への想い」で、サブに「科学と宗教の視点から」となっていた。理解するには難しすぎる題目と思っていたが、実際は一般でも分かりやすいものだった。

ふたりの講演者で、まず国立研究開発法人の産業技術総合研究所の高橋正好先生の「泡」の話だった。水の中に散在する泡を極小にすればするほどその泡のもつ力が大きくなるというものだった。マイクロバブルよりももっと小さいナノバブルになれば、その泡の力は絶大になるという。その作り方からその力をもつ泡の活かし方までを分かりやすく解説された。

続いて、仏教界の重鎮として名高い、高野山金剛峰寺前座主で高野山真言宗前管長の「松長有慶大僧正」が演壇に立たれた。第一声が「先ほどの高橋先生はスライドを駆使されてお話されたが、私はなんにもありません」という微笑ましいツカミで始まった。
日本の仏教では、水は「単なる物ではなく生命ある物」という捉え方をしている。奈良東大寺の「お水取り」もそう。とくに真言密教の六大には「地・水・火・風・空・識」があり、その中の一つに「水」がある。その「水」の特長が、まず「清涼感」、「変幻自在に変わる力」、「洗浄力」そして「生育力」であると講話された。

高橋先生と松長大僧正の話からしても、日本人はしぜんに「水」を大切にしているような気がする。それ以上に不思議な力をもつ存在として認めている。物質としての物と精神性の高い世界の中でなくてはならない物として存在している。
身近にある「水」が、これからの地球に社会に人間に、さらなる具体的な貢献が見えてくるような気がした。

これから機会があるごとに、高野山を紹介したいが、情報がまだまだ不足しているので、いまの騒動が完全に落ち着いたら、また高野山に昇ってみようと思っている。


写真は、高野山大学通信教育課程パンフより転載。(2011年 ナムギャル僧院の僧侶が製作した砂マンダラ)

 

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